はてな界隈ではまた性犯罪と自己責任の話が盛り上がっているようですが、「犯罪者が悪いことはわかっているけど、実際に悪い人がいるのだから自分の身は自分で守るしかないじゃん」という至極当然かつ陳腐な意見を言う人は、自分自身の発言がもつパフォーマティビティというものを少しは考えたらいいんじゃない?と思います。
意見を出している以上、誰かに影響を与えたいと思っているのでしょうが、安全な場所から正論をいうことそれ自体がもつ政治性に対して鈍感であるということは、左右の立場を問わず致命的な問題であると言えるでしょう。政治音痴というか、そもそも政治の問題として考えてないのでは、と。
それから(暇だったので)こんなの読みました。

近代詔勅集―正文訓読 (1983年)

近代詔勅集―正文訓読 (1983年)

明治・大正・昭和三代の天皇が出した詔書勅語が収められた本。やっぱり近代天皇制形成期にあたる明治が面白いですね。たとえば慶応四年に出された「維新の宸翰」が「朕幼弱を以て猝(にわか)に大統を紹ぎ」という言葉から始まり、途中で「天下億兆一人も其処を得ざる時は皆朕が罪なれば〜」という風に「天皇は幼く弱いので助けが必要なのです」というメッセージを前面に押し出している。のちの天皇像とはだいぶ違いますね。
明治四年ごろから天皇は陸海軍の元帥としてイメージ転換を計るわけですが、その契機のひとつとなる「服制更革の内勅」では「今、衣冠の制、中古唐制に模倣せしより、流て軟弱の風をなす。……夫それ神州の武を以て治むるや、固より久し。……神武創業、神功征韓の如き、決して今日の風姿にあらず」と、天皇が和服から軍服へと着替える西洋化を神武創業という復古に結び付けています。
あと、日清・日露・第一次大戦でそれぞれ出された開戦の詔勅には「国際法を遵守したうえで戦う」という文章が盛り込まれていたのに、日米開戦では国際法に言及されていないという違いも面白いのではないかと。もちろん詔勅だけで軍紀を云々することは出来ませんが。