『劇場版マクロスF』についての雑感

初代マクロスのように「テレビではイマイチだったけど劇場版は凄い!」みたいな展開を期待しながら劇場に足を運んだわけですが、結論から言えば、テレビ版より良くも悪くもなっていませんでした。あと、これって前後編なんですね。全然知らなかったので、最初の30分くらいは「こんなにのんびりしていて終わるのだろうか」と心配になりました。もっとも、後編があることを差し引いても、オチが弱いとは思いましたが。
最も印象的だったのは、ドラマでもアクションでもなく、中盤に出てくるファミリーマートでした。タイアップしてるんですね……。ワープ航法を駆使して銀河を旅する宇宙船のなかに、壁際に雑誌を並べた2009年のコンビニがそのまま再現されていて、なんとも形容しがたい異質感を放っていました。極めて個人的な見解ですが、マクロスの世界に餃子の王将が出てきても許せますが、ファミリーマートが出てくることは許せないのです。なぜか。
ストーリィについて漠然とした感想を述べておくと、「携帯電話以後の想像力」が前面に出た話だなぁ、と。実際に物語のギミックとして携帯電話が活用されているということもありますが、携帯電話の出現によって物理的な近さが親密性を計る規準にならなくなった結果、メールを出したら即座に返事をする同時性が親密さの規準になっているわけです。誰かとすれ違うにしても、空間的にすれ違うのではなく、時間的にすれ違う。そう考えると、記憶や歌といったマクロスFの主要なギミックも、やはり時間的なものであると言えるでしょう。物理的な距離はさしたる問題にはならない。記憶も歌も、過去から離れて現在がないことを示していますが、しかし過去へと固着するのではなく、未来へと続く現在のなかに過去を置き換えることが常に問題となる。過去と未来が流れ込む充実した「今このとき」を描く上で、記憶と歌は優れたギミックであると僕は思います。
あと、シェリルのライブシーンを観ながら、Perfumeのことを考えていました。もうさ、本人がその場にいなくてもいいんじゃない?と。それでいて、シェリルは「体をいじっていないこともセールスポイント」と言うんですよね。この倒錯はそれ自体興味深い問題です。
あとは、あの物語に出てくる軍人はみんなナルシストだなぁ、と。特に主人公のアルトは。アルトがSMSに入隊する際、ミシェルが彼に向かって「そのままだといつか誰かを傷つけるぞ」と忠告しましたが、結局アルトはこの問いをスルーしてしまう。彼らは基本的に、誰かを守ることが出来ず、それによって自分が傷つけられることは恐れますが、自分が誰かを傷つけることは考えないんですよね。軍人ってそういうものでしょ?と言われればその通りなんでしょうが。