山尾三省『回帰する月々の記』―生きることと書くこと

この四年半の間に、僕としてはこれまでの自分の人生の最深の出来事と呼ばざるを得ぬ、妻の死に会った。……けれども僕としては、月々に記す約六枚の原稿用紙のうちに、その月その月の出来事や気持ちを、死の側ではなく生の側に向けてある限りの気力を振りしぼってしたためてきた。書くことさえ虚しく、この二年間まとまった仕事は何ひとつできなかったけれど、月々の六枚だけは必死に書きつづけてきた。結果として、書くことはやはり生への営みであり、生の営みそのものであった
(『回帰する月々の記』246〜247頁)

自分の生活を書く、というのは両義的なことだと思う。芥川龍之介は自分の生活を書き留めた『歯車』を書いた直後に自殺したが、山尾三省は『回帰する月々の記』の連載中に妻を亡くし、その悲しみを書くことで克服した。自分を書くことで内閉していくか、それとも書くことを通して自分自身とのあいだに隙間を生み出し、その中に他者を迎え入れて自己を超出するか。この違いはどこから生まれてくるのだろうか。
山尾三省は東京で生まれ、早稲田大学を中退し、インドを巡礼し、最終的には屋久島で自給自足に近い生活を送った。彼は詩人であり百姓であると自称していたが、その一方で彼は、宮沢賢治を論じた『野の道』という本の中で「自分はこれから百姓になるのであるが、百姓にはなり切れないだろうという自身のなさと、百万疋の鼠の内の一匹の鼠としてこの人生を終わるべきではないという自尊心が一体となった、宮沢賢治の自我であり私の自我であった」とも述べている。彼の中で自我は、主体はあらかじめ分立してしまっている。
「『わたくし』と呼べば、その『わたくし』は、すでに『わたしたち』を意味するのである」と述べる三省にとって、「私」の自我は統一されない複数的なものだ。私の中にはあらかじめ他者が食い込んでいる。だからこそ、冒頭で引用したように「かけがえのないあなた」の死は、私の魂に傷をつける。

クモ膜下出血で、突如妻が逝ってしまってからちょうど十日目の日は、朝からぬけるようなよいお天気の日であった。
意識不明のままの最後の看取り、お通夜、葬式、火葬と、初七日まで喪主および僧としての務めを果たしてきたが、その間ほとんど眠ることができなかった。死ぬほど眠いのに、眠ることができなかった。ようやく何時間か熟睡できた十日目の朝、青く晴れわたった空の下に、死ぬことも泣くこともできず、死にながら泣きながらひとりで生きねばならぬ自分があった。
(『回帰する月々の記』141頁)

しかし、そこから立ち直るための「喪の作業」が可能となるのもまた、私の中に他者が食い込んでいるからなのだろう。新たな他者との出会いによって、過去の位置づけは絶えずズレていく。「喪の作業」とは過去を忘却することではなく、ガダマーの言う「地平融合」を起こすことで、未来へ向かう時間の中に過去を置きなおすことだ。私を傷つけるのが他者の他者性であるなら、私を癒すのもまた他者の呼びかけに他ならない。

谷川沿いの曲がりくねった道の一角で、ここらで飯盛山と呼ばれている形のよい半円形の山が見えた。その山は、この半年ほどの間になぜか急に僕の関心を引きはじめていた山で、これまで十年も住んできて毎日のように見ていながら、そこにそのような山があることにはっきりとは気づかなかった山であった。
その飯盛山に、突然、妻の姿があった。僕はあっと息を呑み、深い安堵にかられながらその山を見つめた。
……夕方の澄んだ空気の中で、飯盛山はくっきりと緑の姿を見せ、そこには宮之浦岳と同じく、すでに彼女の霊が宿っていることが、明らかなこととして感じられた。僕は車のスピードを極端に落とし、その山に向かって片手合唱しながら、これからはその山に見守られつつ生きてゆくのだということを、実感することができた。
(『回帰する月々の記』143〜144頁)

ハイデガーが言うように了解と解釈は異なる。了解とは過去からの憑依であり、無意識の制約である。しかし解釈とはそこに新たな他者との出会いを加え、新たな地平の融合を引き起こすことなのだ。過去に囚われながらも、そこで過去の位置づけがずれていくのだ。それは過去から開放された時間などではない。むしろ過去を位置づけなおした時間であり、明日への開かれていく時間なのだ。今とは、本来、過去と現在が同時に流れ込んでくる時であり、ベンヤミンが「今この時(Jetztzeit)」と呼ぶところのものである。そして、他人との差異化を引き起こしながら、そのズレを抱えながら、たがいが大きな容器の一部をなしていく。
(磯前順一『喪失とノスタルジア』277頁)

三省はこんなことも書いている。「野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩き続けることなのだと思う」。多くの人は悲しい出来事に遭遇すると、過去がくり返されることを恐れ、未来を拒絶し、自閉しようとする。しかし他者とかかわり続ける限り、全く同じことは二度と起こらない。新たな出会いを重ねていけば、過去を未来へと続く時間の中に置き換えることも可能になるだろう。自然からの声に耳を傾けることで、三省が妻の死という過去をポジティブに捉え返したように。

宮沢賢治は、詩人として出発したのでこのような分立に立たされていたのではない。彼はあらかじめ何処かで分立してしまっていたので、詩を選び、童話を書かなければならなくなってしまっていた。詩や童話、唱歌作曲や羅須地人協会その他の彼の一切の活動は、すべて究極の幸福である野や野の人々との一体感を回復するための回路であった。
(『野の道』25頁)

田中ロミオが『CROSS†CHANNEL』で描いたように、表現行為を通して「わたし」と「あなた」はほんの一瞬だけ交差する。それは錯覚かもしれないし、最終的な解決というわけでもない。しかし、「他者とは結局わかりあえない」という一般論を盾に、安全な場所で内閉することもできないだろう。山尾三省宮沢賢治にとってそうであるように、他者は絶対的な差異であると同時に、差異のまま私に食い込んでいる。私は他者にたいして無関心ではいられない。
だからこそ、彼らは、そして私は書くことを通して、私のなかに食い込んだ他者を位置づけなおし、内化しようとする。それが「書くことは生の営みそのものである」という言葉の意味だろう。

回帰する月々の記―続・縄文杉の木蔭にて

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野の道―宮沢賢治随想

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喪失とノスタルジア - 近代日本の余白へ

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