杉井光『さよならピアノソナタ2』

さよならピアノソナタ〈2〉 (電撃文庫)

さよならピアノソナタ〈2〉 (電撃文庫)

第1巻を読んだのが1年半前で、その間に長編4冊と短編1冊が出てシリーズ完結、となっているようです。第1巻は非常に面白いと感じたのですぐに次を読んでも良かったのですが、あえて現在に至るまで読まなかったのは、しいて言えば、第1巻のまとめ方が鮮やか過ぎたから、ということになるでしょう。これで終わりでいいよ、むしろ続きを書くな!と、少し思いました。
そしてようやく読んだ第2巻。端的に言って「すらすら読ませる」文章だという印象をもちました。小説を読むとき、僕は気になった文章があるページを折っていくのですが、最後まで読んで折られたページはひとつだけ。きちんと読み返せばもう少し増えるでしょうが、ついつい早く読みすぎてしまうのです。ちなみに折られたページにはこういう台詞がありました。
「きみが生まれる前にも音は鳴っていた。きみが死んだ後も鳴り続けるだろう。だから大丈夫、ちゃんと耳を澄ませて、弾いていなくたって、さっきまで鳴っていた自分の声が聞こえるはずだよ」
いいこと言うなぁ、と思ったのですが、これって序文に引用されているジョン・ケイジの言葉のアレンジですよね。中々いいこと言うじゃないか、ケイジ(馴れ馴れしい)。
そんなわけで、おそらく第1巻よりも文章は読ませるものになっているだろうと思います。しかし、僕が評価するのは断然第1巻の方です。第2巻は、題材である音楽が信仰の対象になってしまい、非信徒である僕はその中に入っていけなかった。主人公の鈍感さプラス器用貧乏ぶりが気に食わなかったというのもありますが、重要なのは音楽に対する距離の取り方の方ですね。
第1巻の「音楽の力はなんて偉大なんだろう、と思う。あんなに離れていたのに、楽譜通りに弾くだけで、すぐそばにいるように錯覚できてしまった。なんてすごい力だろう。消えてしまえ。」という文章は、やはり素晴らしいと思います。それはおそらく題材としての音楽だけの問題ではなく、作品全体を通底するトーンでもあるだろう、と。差異化と同一化をくり返し、近づいたと思ったら離れていく。完全に同一化することは結局できないのですが、それでも差異を抱えたままに交差するような一瞬があって、それを可能にする場としての音楽があって……と色々考えさせられる内容だったんですよね、第1巻は。差異化と同一化はどちらも大切だ、ということ。
第2巻も決してつまらなくはないのですが、それ以上ではなく、読んでいる最中は無性に田中ロミオの新作早く出ないかなー、ということを考えました。