twitterを始めて以来、更新頻度が落ちているこのブログですが、最近はネットで文章を書くこと自体から遠ざかり気味です。たぶん、ネット以外で文章を書く機会が増える一方なので、そちらで満足してしまうのでしょうね。
それでも暇を見つけては、というか現実逃避でtwitterに文章を書いたりしていますが、そうすると今度は文体がtwiiter用のそれで固定してしまいそうで怖い。研究者も新書を書きすぎると新書の文体でしか書けなくなると聞きますので、定期的に違ったメディアで、違った文体で書いてみることが必要なんだろうなぁ、と思います。

森博嗣氏が言うように、毎日ブログを更新しようと思うと、1日で書けるような題材しか目に入らなくなってしまう。メディアによって文体が規定され、文体によって内容が制限される。この不自由さを克服したいとは以前から思っているのですが、それはたぶん、メディアや文体の問題を完全に無視してしまうのではなく、それらを受けいれた上で突き抜けていくことによって成し遂げられるのではないか、と最近は考えています。少し前まではtwitterで文章を書くときも、あえて140字では収めない、というか140字で書けるような話は最初から書かないことにしていたのですが、まあ、別にいいんじゃない?と思うようになって、現在は普通に書いています。ブログの方も「ですます」縛りをゆるめて、あえて色々な文体を混在させてみようかな、と。
最近あまりブログが更新できないのは、時間がないからというよりも、むしろ上記のようなことを考えすぎてしまうからなんでしょうね。気がついたら4年も書いているわけで、定期的に読んでくれる方も何人かはいるでしょう。でも僕は、僕のことを理解できないという人に向けてこそ文章を書きたい、と思っています。文体の試行錯誤も、そういった「他者」へ向けて文章を書くための準備運動みたいなものである、と考えていただければ良いでしょう。
ブログでブログ論を書くのはみっともないので、これくらいで……。