風景論ノート

時々更新。
柄谷行人日本近代文学の起源』(24頁)

ここには、「風景」が孤独で内面的な状態と緊密に結びついていることがよく示されている。この人物は、どうでもよいような他人に対して「我もなければ他もない」ような一体感を感じるが、逆にいえば、眼の前にいる他者に対しては冷淡そのものである。いいかえれば、周囲の外的なものに無関心であるような「内的人間」inner man において、はじめて風景がみいだされる。風景は、むしろ「外」をみない人間によってみいだされたのである。

同上(29頁)

近代文学のリアリズムは、明らかに風景のなかで確立する。なぜならリアリズムによって描写されるものは、風景または風景としての人間――平凡な人間――であるが、そのような風景ははじめから外にあるのではなく、「人間から疎遠化された風景としての風景」として見出されなければならないからである。
たとえば、シクロフスキーは、リアリズムの本質は非親和化にあるという。つまり、見なれているために実は見えていないものを見させることである。したがって、リアリズムに一定の方法はない。それは、親和的なものをつねに非親和化しつづけるたえまない過程にほかならない。この意味では、いわゆる反リアリズム、たとえばカフカの作品もリアリズムに属する。リアリズムとは、たんに風景を描くのではなく、つねに風景を創出しなければならない。それまで事実としてあったにもかかわらず、だれもみていなかった風景を存在させるのだ。したがって、リアリストはいつも「内的人間」なのである。

G.タックマン『ニュース社会学』(152〜153頁)

報道陣をあたかも大衆であるかのように撮影したら、出来事の流れでなく報道陣が場面をつくることになり、ニュースの信憑性を脅かす。出来事をめぐる興奮が報道陣によっておもに作り出されたことを暴露してしまうからだ。……報道対象に報道側が巻き込まれていることを示しては事実性の網を損なうことになるのだ。

エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』(熊野純彦レヴィナス入門』12頁から引用)

個別的な<もの>は、ある面で工業都市に似ている。工業都市にあっては、いっさいが生産という目的のために適合させられている一方で、工業都市は煙にみち、屑と悲しみとにあふれて孤立しているのだ。<もの>にとっての裸形とは、その<もの>の存在が目的に対して有する余剰のことなのである。

エマニュエル・レヴィナス「すべては空しいか」(『レヴィナス・コレクション』207頁)

戦前の自分たちの生活を織りなしていたいくつかの事物を幸運にもふたたび見いだした者たち、彼らが最初に味わった失望は、おそらく、これらの事物が昔通りのなじみ深い姿で存在しているのをふたたび見いだしたことだった。

杜甫『春望』

国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙をそそぎ
別れを恨みては鳥にも心を驚かす

熊野純彦和辻哲郎』(195〜196頁)

杏の木を植えることで風景を変えようとした柳田國男が、みずからの失敗にもとづいて語っているように、風景はその起源が忘却されることで風景となる。「土地と樹木との因縁は、我々などよりもずっと深く根強く、従ってまたゆっくりとしている」。ひとはただ「遠い結果を夢み」ることができるだけなのだ(柳田)。かくて、「田畑は何よりもまず共同存在の表現」である。風景から「「われ」が分離することにおいてのみ」風景は風景となる(『倫理学』(三)、二四三頁)。

仲正昌樹『「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言』(116〜118頁)

ベンヤミンは、神々しく崇高に見える「自然」をそのまま完璧な姿で再現することを試みる象徴芸術と、人間の手によって「自然」を再現することの不可能性を認識し、“再現”された(自然の)像の“歪み”を意図的に露呈するかのような“不自然”な像を描く寓意芸術という差異を考察しながら、「歴史」と「自然」の相関関係についてユニークな論を展開している。
神々しい「自然」が“私”の手元から過ぎ去っていった――と感じられるようになった――後で、“私”たちがその喪失・欠乏感を埋めるべく周囲の諸事物に「意味」を与えようとするようになったところから、人為的に構築された意味の連続的大系としての「歴史=物語Geschichte」が生まれてきたというのである。「歴史」は移ろい行く「自然」の埋め合わせ――デリダはこの作用を「代補supplement」と呼ぶ――の役割を担っているわけである。芸術作品とは、「逃げ去っていく自然」の痕跡を記憶にとどめる媒体であり、そこに表象=再現前化されて(reprasentiert)いる“自然”=ユートピアは、いつの日にか地上に再現しようとする人々の願望の現れとして解釈することができる。
……
古典芸術からバロックを経て、近代芸術が誕生する過程の中で、「生き生きした自然」を直接的に表象しようとする契機が、芸術的営みから次第に後退していく傾向を、ベンヤミンは、ユートピア表象の不可能性、言い換えれば、主体(私)と客体の(自然)の再合一化の不可能性が反省的に自覚されるようになった帰結と見る。

清水真木「風景の終り」(『思想』2010年2月号、70頁)

英語の「ランドスケープ」という名詞が最初に使われたのは、今から約400年前、16世紀末のことである。……ただ、これらの名詞の初期の用例は、風景を意味するものではなく、この時期の「ランドスケープ」に対し「風景」の訳語を当てることはできない。「ランドスケープ」は風景を指し示すために姿を現した言葉ではないからである。当時、この言葉が意味していたもの、それは絵画のジャンルとしての「風景画」である。……「ランドスケープ」が風景画ばかりではなく現実の風景も指し示すようになるのは、18世紀前半のことである。……したがって、風景に対する適切な態度なるものが定められるとするなら、それは、風景画に対する適切な態度を現実の風景へと転用することによって成立したものとして記述されるべきものである、このように推測することが可能である。

ちなみに、日本庭園には「借景」という技法があって、これは庭園の外の景色を庭園の付属物として取り入れる方法なのだけど、その際には樹木や建物の柱を額縁に見立てて、その中に景色を収めるという技法がよく使われる。日本においても風景はまず額縁のなかに見出されたわけだ。
夏目漱石草枕』(新潮文庫、14頁)

余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――悉く大自然の点景として描き出されたものと仮定して取りこなして見よう。尤も画中の人物と違って、彼等はおのがじし勝手な真似をするだろう。然し普通の小説家の様にその勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。

柄谷行人「『草枕』について」(同217頁)

画工がみているような世界は“現実”によって消滅してしまうほかないというようなことを、この小説から読みとるのはつまらない。……漱石はこの作品において、“現実”を無化するところに成立する“想像的なもの”の優位を、あるいは現前性に対する不在性の優位を確保しようとしているのだから。

柄谷がいうように、「文学」の歴史性を漱石が知っていたとすれば、ここでは「風景」の歴史性(風景はまず風景画として見出された)が表現されていると考えるべきか。