来月3日のゼミ報告が終わるまでは禁欲的に生きようと思うのであります。そんな中でもtwitterとアニメ視聴は続けているわけですが、『化物語』DVD1巻は大変面白かったです。戦場ヶ原ひたぎ=「信号機」という等式が私の中で確立されました。赤青黄色。


・『薔薇の名前』のウンベルト・エーコが「いかにしてサッカーを語らないか」という短いエッセイで、固有名詞を並べ立てて自分がいかにサッカー好きかを語るマニアたちに対する嫌悪感を表明し、サッカーマニアたちは語りの内容の空虚さを埋めるように、サッカーと彼ら自身とを重ね合わせていると批判した。最近はあまりないけれど、タクシーの運転手が一方的に贔屓の野球チームについて話してきて、聞いてるこちらを辟易とさせる、そんな状況を想像してみよう。ある種の野球ファンにとっては、それを専門的に話す力も、そのファン感情を共有しない人に楽しさを伝えようとする意思もないけれど、贔屓のチームについて話し続けることで「〜県民である自分」「〜ファンである自分」というアイデンティティと連帯感を保つことができるわけだ。ただ選手の名前を羅列しているだけで内容はないが、いや、むしろ内容が無いからこそ、話のトーンは「俺達のタイガースは〜」とか「俺達のドラゴンズは〜」という熱を帯びて行くことになる。他者を辟易させながら。
もっと卑近な例で言えば、あらすじを書き連ねたり声優や演出家の名前をひたすら列挙していくだけのアニメ感想ブログに限って、「俺達のアニメ業界」の将来を憂慮する国士様だったりする。内容が断片的かつ空虚であるからこそ、それを埋め合わせるために正義やナショナリズムといった情動が入り込み、コミュニケーションの場を支配するようになる。オタクとナショナリズムの親和性はこういった方面から説明できるのではないだろうか。
それにしても、オリンピックを日本でやらずにすんで本当に良かった!


村上春樹の初期作品を読みながら、並行して太宰治人間失格』を読んだ。『風の歌を聴け』や『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』に顕著だが、村上の作る話は「喪失を喪失と認識するまでの物語」と要約できるのではないか、と思う。医療器具のみが唯一の証言者となる現代の死、言語に記載されることを拒む死、死という認識の死。どうすれば喪失を認識し、悲しむことが出来るのか。その問題に村上はずっと捕われているように思う。


・『11eyes』を観た。他の学園ものに比べて、ファンタジーの要素が入る学園ものは、主人公が2年生である確立が高いように思われる。ここはあえて高校3年生にして、「もうすぐ受験なのに、なんで世界を救ってるんだろう……」と苦悩する描写を入れて欲しい。あるいは世界を救うことに忙殺されて受験に失敗し、鬱々とした浪人生活を過ごすエピローグ。
それはともかく、アニメ『11eyes』は日常描写をかなり端折っているけれど、あえて主人公が日常の生活を貫いたら、それはそれで面白いのではないか、ということを考えた。シュミットを引くまでもなく、戦争を含めたあらゆる闘争は「例外状態」だからこそ正当化される。だから、例外状態であることを決して認めず、日常に固執することはそれだけで闘争に対する抵抗になるのではないか、と。ちょっと非現実的な話だけど。


杜甫の「国破れ山河あり」という詩を、以前は「国が滅んだけど山河が残ってる!やったぁ!」という風に読んでいたのだけど、今は「国が滅んだのに何で山河は残っているんだ……」と読むほうがいいのかなぁ、と思っている。例えば刑務所で十年くらい過ごして、自分自身はすっかり変わってしまったのに、周囲の物事は何も変わっていなかったら、世界から自分だけ外れてしまったような感覚を受けるのではないだろうか。
だからこそ山河が美しく見えるのだ、とも考えられるだろう。『秒速5センチメートル』の風景描写も、その風景に主人公が溶け込めていないからこそ美しく見えるのではないか、と思う。柄谷行人によれば、日本文学においては「個人の内面」と「風景」の確立はパラレルであるという。つまり「風景」とは「私ではないもの」として定義される。私から切り離された世界、私を疎外する外界としての「風景」。私とは無関係に存在しているからこそ、「風景」は超然とした印象を与えるのだ。一方『化物語』は全く逆で、「風景」の確立によって失われたもの、つまり「私」と外界との連続性を強調しているように思われる。


・『レールガン』も観てる。レールガンが撃てても日常生活には何の役にも立たないわけで、あの世界の日本は、何のために超能力の開発をやっているのだろう。瞬間移動も、1キロくらい移動できるなら便利そうだけど、ちょっとの距離なら歩いたほうが楽かなぁ。昔のテレビにはよくスプーンを曲げる超能力者が出ていたけれど、あれと似た不毛さを感じる。それはともかく、これも「風景」に注目したい作品。あんな街には住みたくないなぁ。