青春18切符がそろそろ期限切れになりそうなので、徒歩3時間、自転車2時間、電車5時間、タクシー10分のトライアスロンみたいな日帰り旅行をしてきました。いいかげん「青春」でも「18」でもないことを、翌日の筋肉痛の中で感じる、そんな夏のなごり。

兵庫県立美術館で開催されている「だまし絵展」に行ってきました。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/damashie/index.html
平日なので人ではそこそこ、といったところでしたが、これは面白い展覧会ですよ。アルチンボルド、マグリッド、ダリ、エッシャー歌川国芳といった有名どころの作品はもちろん、現代作家の作品からも大いに刺激を受けました。肩肘を張らずに見て、びっくりしたり、素直に感心したりできる、楽しい展覧会でしたね。
特に印象的な作品をひとつだけ挙げるなら、高松次郎『影A』です。公式サイトでは「壁に掛けられたハンガーやテーブル上の茶碗などのモチーフが実体のない影として描かれ、日常生活の背後に潜む現代の空虚感や孤独感が表現されている」と説明されていますが、僕の印象では、これは「何もかもが終わってしまった世界のなごり」でした。すべてが終わってしまったのなら、そこに残っているのは、何かがあったという痕跡だけでしょう。「終わり」そのものを僕たちが知ることはできませんが、痕跡を通して何かが「終わった」ということを知ることはできる。だからこれは、影という痕跡を通して知ることのできる、終わってしまった世界なんだ……と、そんなことを考えました。あと『CLANNAD』のこととか。

美術館を出た後、喫茶店で昼食。『パルフェ』をクリアした直後だったので、ドアを開けると金髪ツインテールのお嬢さんがいて、「お帰りなさいませご主人様」とか言ってくれたらいいなー、とか全然そんなことは考えていないのだから勘違いしないでよね!という脳内討論を繰り返した挙句、市原悦子似の店員に牛スジカレーを注文し、コーヒーを飲んで出ました。
そのあとは灘から加古川へ行き、加古川線に乗り換え、待ち時間にいらいらした挙句タクシーを拾って、10分乗っただけなのに3000円請求されて怒り心頭になったりしながら、小野市の浄土寺へ。小野駅から歩いて行ったのですが、これが遠い遠い。最初に道を尋ねた女性には「歩いていける距離じゃないと思いますけど(タクシー拾えよ貧乏人:意訳)」とか言われながらも、歩いて走って1時間くらいで到着。
苦労はしましたが、行ってよかったと思います、浄土寺。何年か前の『芸術新潮』の特集で、磯崎新がここの浄土堂を絶賛していましたが、中に入ると確かに圧倒されますね。内部の写真撮影は禁止されていて、おまけに外観は地味なので上手く説明できませんけど……。建物の規模に対して柱の数が少なく、その分だけ1本の柱が太く、それらの柱が水平材で複雑に組み合わされている。天井板も張られていないので、中に入るとその構造が手に取るようにわかります。同じく重源によって立てられた東大寺南大門もそうですが、外から見るより、中に入って構造を見たほうが面白いという。
上の写真は浄土寺狛犬です。境内の写真を撮っていたら、お寺の関係者らしき方が「あっちに古い狛犬があるから、それも撮っておきなさい」と言われて気づいたのですが(ちょうど木の陰になって見えなかった)、胴体に比べて頭が異常に大きく、しかもボールにじゃれて遊んでいるという、何とも奇妙な狛犬です。番犬じゃないのか……。