3年目の感想

このブログを書き始めてから3年が経過しました。もっとも、「人に読ませる」ことを意識し、PVをカウントし始めたのは1年目の終りからなので、僕の中ではまだ2年しか経過していないのですが……。
PV数は本日の時点で104万。ちょうど1年前は54万と書いているので、増加率はほぼ横ばいと言ってよいでしょう。今年は「書きすぎないこと」をテーマにして記事の本数を抑えたので、マイナスにならなかったのは固定読者の増加に帰するところが大きいのではないかと思います。
もっとも多くのアクセスを集めた記事は「『ef - a tale of memories.』が面白い!〜アニメにおける「わかりやすさ」の探求〜」です。3万アクセスくらい。自薦記事としてはこの辺を挙げておきましょう。
記事執筆のスタンスというか、目指すところについては「これからアニメ批評について真剣に考えてみようという人に向けて」を書いて以来、基本的には変わっていません。よくもまあこんな偉そうなことが言えたものだという意味で、今読み返すと火が出るくらい恥ずかしいのですが……。
以前にも紹介しましたが、筒井康隆のエッセイに「恰好よければ」というのがあります。

生まれつき勘がいいというのか何というのか、はじめてクレー射撃をして二十五発中十七発が命中した。証人だっている。ジャズ・ピアニストの山下洋輔である。それ以後も、百発百中に近い成績である。自分でもぶったまげている。
僕は精神主義者ではない。形式主義者である。××の心得とか、××の精神とかいったものは、まったく信用しない。西部劇映画が好きで、よく見ていて、いい恰好をしてライフルを撃つ場面をたくさん記憶していて、だからああいういい恰好で撃てば命中する筈だと自分に言い聞かせ、その通りやって命中させたのである。恰好さえよければ万事OKだと思う。「恰好だけは一人前」ではない。「恰好さえよければ一人前以上」だと思っている。小説だってそうだ。文体さえ完成すれば、しぜんと内容もよくなると思っている。
(強調は引用者)

尊敬する筒井康隆の言うことなので、僕はこの言葉を素直に信じています。高い理想を掲げ、その枠に自ら嵌るようにすれば、自然と良い記事が書けるようになるだろう、と。実際にそうであるかは読者の判断にお任せしますが……。


もうひとつのブログを更新しました。少し前に洛北・大原に行ってきたので、その話を少し。面白おかしく紀行文を書くつもりだったのに、気がついたら関係史料の解説に終始しているという。「それなら現地に行かなくても書けるよね」「うん、まあ、その通りなんだけど……」
http://d.hatena.ne.jp/tukinoha2/20081019/p1
以前に自転車で訪れた岩屋不動のあたりもそうなんですが、京都と丹波国との境界付近には惟喬親王に関係する伝承が多く残されています。同様に、親王木地師の祖とする伝承も全国的に見られるのですが、その伝承が一般化したのは実は明治維新以降のことであるとする説もあるので、近代天皇制の成立によって遡及的に「勤皇家としての歴史」が生み出されたという可能性もあるのではないかな、と。