ベンヤミンの「注釈」

注釈は、価値評価とはいささかちがう。価値評価は、いやがうえにも慎重に明暗を光と影に分けていくものだが、注釈はそれとちがって、対象とするテキストを古典とみなすところから、したがっていわばひとつの偏見から出発するものであり、また、テキストの美しさとポジティヴな内容とだけを問題とするものである。
  ヴァルター・ベンヤミン『プレヒトの詩への注釈』より

「批評」でも「評論」でも「感想」でも言い表せなかった部分を埋めてくれて非常に良い気分です。もっとも、ハンス=ゲオルク・ガダマーという哲学者も似たようなことを言ってて、例えば『源氏物語』を読むとき、光源氏のだらしなさが不愉快だといって怒りだすような人はいませんよね?古典を読む上で僕たちのネガティブな偏見は自然と相対化され、作品から積極的な意義を取り出そうとする態度がとられます。そういった態度の表現を、ベンヤミンは「注釈」と呼んだのでしょう。
個人的には「注釈家」という肩書きがあっても良いかな、と思いました。同じ作品を二度三度読ませることが役割、というか、二度三度読むに値する作品なんだということを証明するのが役割。