ヤン・シュヴァンクマイエル『アリス』−アニメーションと「生命の復活」

たまには気分をかえて、海外アニメの話でもしてみましょう。

ヤン・シュヴァンクマイエル アリス [DVD]

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僕の知っている中で1,2を争うほど悪趣味なアニメ。本当に素晴らしいくらい背徳的で、グロテスクで、気がついたら幸せな気分になっている、そんな作品です。アリスが人形の兎をドアと壁の隙間に挟んで、何度も何度も打ち付けるシーンは嫌悪感すら沸きました。アリスに「殺された」人形は針と糸によって何度も蘇り、少女の白い手は紫のインクで染め上げられ、テーブルに置かれていた生肉は活き活きと走り出す……。という風に、物体を通常のコンテクストから引き剥がし、その存在自体がもつ不安、不気味さを描き出す実存主義的な作品であると僕は理解しています。
それと、アリスという無垢な外見の少女に浴びせられる血や水などの液体、人形の詰め物がお腹からぽろぽろと零れ落ちる「出産」のイメージなど、性的な記号との衝突が物語の主題として捉えられるんじゃないかな、と。エロいですよね、このアニメ。

アニメーションは、魔術を操るように使いなさい。アニメーションとは、生のないものを動かすのではなく、それらを活性化させること、いわば生命を復活させることなのである。


ヤン・シュヴァンクマイエル「映像作家のための十戒」『情報デザインシリーズvol4 映像表現の創造特性と可能性』より−

上記の言葉は非常に含蓄のある内容だと思いますね……。
シュヴァンクマイエル監督の作品は基本的に実写とクレイ・アニメ、ドローイング・アニメの組み合わせから出来上がっていますが、実写を使う場合にもあえてコマ送りで撮影というケースが多く見られます。
例えば短編の『フード』という作品。タイトル通り(かなり異常な)食事の光景を描いたものですが、この「食べる」という動作がコマ送りで撮影されることにより、かえって「むしゃむしゃ食べる」という躍動感が生まれています。これもまた映像の魔法。

夢と現実とを、そして現実と夢とを、絶えず混同させなさい。二つの間に論理的な境などない。夢と現実間の区別などまばたきほどの動作である。白昼夢の場合には、この動作すら無用になる。


−同上−

シュヴァンクマイエル監督の作品というのは、だいたいどれも「よくわからない」。よくわからないけど、何となく面白い。たまに面白くなかったりもする(『ファウスト』とか)。この、わからないのに面白いというのは非常に大事なことであると思います。理屈じゃない面白さというのは、確かに存在するのではないかと。
背徳の美、無駄のない画面構成、フェティッシュな視線etcと「面白い理由」を考えることは出来るのですが、他ならない僕自身がそれに説得力を感じていないという。うーん。修行不足ですね。
あ、まだ『悦楽共犯者』見てないや……。明日見よう。