『神霊狩/GHOST HOUND』を聴き倒す−サウンド派アニメの楽しみ方

どのような映像作品であれ、それは単なるカットの積み重ねではなく、実際に僕たちが見ることのない部分も含めた、統一された世界を前提として作られています。そのこと、つまり「実際に見ることのない部分」を想起させ、また、それぞれのカットが「統一された世界」の出来事である、ということを表すのが効果音あるいは音響効果の役割であると言えるでしょう。普段意識することは少ないですが、効果音は常に作品の中に存在し、作品世界の「現実」を支えています。
全く逆の使い方も考えられるでしょう。例えば音声の一貫性を放棄し、断片化された音と映像を対立させることで視聴者に違和感を覚えさせる「ソニマージュ」の手法では、僕たちが無意識に判断する「音声と映像の一致」が批判の対象となります。
このように、音声の使い方はそれ自体がひとつのドラマとなる可能性を持っています。今回はそのことに対して自覚的であると思われる作品『神霊狩/GHOST HOUND』を取り上げて、映像作品における音声の役割について考えてみましょう。


映像作品の音声の分類方法として、ここでは映画音声の研究者であるミシェル・シオンの考え方を採用したいと思います。シオンによると音声は
1.映像の中に音源が含まれる「イン」の音
2.映像の中に音源はないが、作品世界の中に音源が存在すると考えられる「フレーム外」の音
3.作品世界の外から聴こえてくる「オフ」の音
以上の3つに分類されます。例えばピアノの音が流れていると仮定して、カメラがピアノを映しているときは「イン」の音、ピアノは映っていないけれどそれに合わせて歌っている人がいれば「フレーム外」の音、ピアノとは何の関係もないシーンなら「オフ」の音、という風に分類されます。シオンはさらに、それぞれの境界で生み出される、隣接領域への音の侵犯によって様々な劇的効果が生み出されると論じました。

ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』
「3つの境界線が、映画次第で、あるときは壁となり、あるときはそれを越えることがドラマの扉となり、またあるときは反対に、一種の柵や格子、点線となる」

前置きが長くなりましたが、『神霊狩』の話。

第5話で、主人公の古森太郎がラジオを聴きながら眠ってしまい、気がつくと幽体離脱(魂抜け)していた、というシーンがあります。


ラジオから発せられる強烈なノイズは主人公が眠りに落ちるのと同時に止むのですが、魂抜けすると再び「別の」ノイズが聴こえてきます。
耳を突き刺すようなノイズから、くぐもったノイズへ。「現世(うつしよ)」と「幽世(かくりよ)」の連続性、そして両者の断絶がここでは端的に現されています。音声が「一種の柵や格子、点線となる」一例ですね。
これとは逆のパターンとして、第2話の、太郎がカウンセリングを受けるシーンが挙げられるでしょう。カウンセラの指を眼で追いながら太郎は過去の記憶を辿っていきます。



カウンセラの指の動きをメトロノームに見立て、カチッ、カチッという音が継続的に流れます。この「ありえない」音がいかにも自然な音であるかのように作られているところが面白い。
先に挙げた音声の分類方法に従えば、指の動きとカチッ、カチッという効果音が一致していることから「イン」の音であると僕たちは判断します。しかし、言うまでもなく指からカチッ、カチッという音がするはずがないのであって、「オフ」の音であるとも考えられる。こちらは「隣接領域への音の侵犯によって様々な劇的効果が生み出される」例であると言えるでしょう。


ところで「自然な音」とは何でしょうか?
例えば実写映画において僕たちが自然だと感じる音は、実際には様々な手段でノイズを徹底的に取り除いた「不自然な音」です。ゼロから世界を創造するアニメにおいては尚更のこと。それとは逆に、映画館の「自然な」囁き声がひどく耳障りに感じられたり、静かな場所で撮影したはずの家庭用ビデオのノイズが妙に気になったりもします。逆説的ですが、音響効果のリアリティは、その音がリアルではないからこそ生じるものである、と言えるでしょう。
その意味で、上述したメトロノームのような音や、物語の全体を通して流れるぼんやりとしたノイズは、リアルな音であるが故にそれが映像作品であることを意識させます。それも完全な虚構ではなく、現実に存在する世界をカメラ越しに見つめるような、虚構と現実の中間地点へと視聴者を誘導します。


第1話より、太郎が見る夢のシーン。暗い室内を蝿が飛び回っており、その羽音が酷く耳障りです。
さて、「カクテル・パーティ効果」という言葉があります。これは、カクテル・パーティの騒音の中でも、人間は聴きたい音だけを聴いて会話を行うことが出来るという脳の働きを表しています。僕たちは日常の中で流れる音すべてを聴いているわけではありません。
一方、その日常を家庭用ビデオで撮影したとき、ビデオは全ての音を均等にあつめるため、普段は無意識に取捨している音が聴こえてしまい、酷く耳障りに感じられます。
上のシーンでは、僕たちが太郎というカメラを通して映像を見ているのだということを、蝿が飛び回るノイズによって上手く表現しているのだと考えられるでしょう。

http://www.ghosthound.tv/introduction.html
「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」

明晰夢、まどろみ、現世、幽世……幾重にも折り重なった「現実」の束として作られた『神霊狩』。その多用な現実を音声の微妙な変化によって表そうとする本作は、映像本位の見方に慣れきった僕たちにとって新鮮な経験にあふれています。ヘッドホン推奨。


参考リンク
http://www.ghosthound.tv/
http://www.production-ig.co.jp/contents/works_sp/1680_/
『神霊狩/GHOST HOUND』の全貌に迫る!

神霊狩 ANOTHER SIDE(1) (BLADE COMICS)

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愛のポルターガイスト

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