雑記11/13

厳格な科学者が芸術を愛し、フランス料理のフルコースに大金を払う人がジャンクフードを食べ、人の生きる意味を説いた哲学者が人を殺し、ゲーテを読むのと同じようにラノベを読む。
それが生きることの愉快さではないか、と僕は思います。自分が何者であるか、彼はどういう人間であるかという問は重要ですが、その問に比べ、答えがいかに陳腐なことか。
彼は何者かであり、また何者でもない。
ある物語に「天才少女」が登場しました。彼女は天才で、将来は優れた科学者になるだろう、という設定。けれど、彼女はそれ以外に何も持っていませんでした。科学だけを信じたマッドサイエンティスト、あるいは芸術に狂い、芸術に全てを捧げた芸術家のように。ただ、僕はそういった表現にまったくリアリティを感じません。
何かを見るために鍛えた眼は、その「何か」以外のものも見ることが出来る。それならば、自分が何者かなんて墓に刻んでおけば済むことだ、というのが僕の考え。

京都国立博物館で開催中の「狩野永徳展」に行ってきました。お目当ては大徳寺聚光院蔵の「花鳥図」「琴棋書画図」。現在は京博に寄託されていますが、今年の初めまで聚光院の襖として使われていて、特別拝観の時にはお手伝いさせてもらったこともあるので、すごく懐かしかった……。
「花鳥図」は梅の枝が襖4面を貫くように左右へと広がると同時に、太い根っこが地面にグサグサ、幹は襖の枠を飛び出すように描かれています。探幽以後の、二等辺三角形の中に全体が収まる巨木表現とは一線を画していますね。
「琴棋書画図」は岩と人物の表現が特徴的です。岩のガチガチに尖った輪郭線、シワまではっきり表現された服とは対照的に薄墨で描かれた顔。ちなみに「琴・棋(囲碁)・書・画」とは士大夫が身につけるべき4つの教養のこと。僕はひとつも出来ません。
永徳展は今週末までなので、行こうと思っている方はお早めに。

【業務連絡】「マンガ評論家」を辞めます: たけくまメモ
私ももう47歳ですし、マンガのオススメ仕事は現役のマンガ読みに道を譲ることにしたいと思います。以後私は「今年のマンガベストテン」のような企画には参加を辞退させていただきます。これからもあくまで自分のペースで、「好きなマンガ」について書くことは続けたいと思いますが、「来週までに十本選んでください」というような依頼はお受けしかねますので、何卒ご了承ください。

もう「今年の〜ベストテン」みたいな企画が始まる時期なんですね。もっとも、僕はその手の企画にほとんど興味がありません。理由は以前書いた通り。

新しさの思想 - tukinohaの絶対ブログ領域
小説ならクリスティやカーの傑作、アニメなら『少女革命ウテナ』や『おジャ魔女どれみ』のような、作品が発表された当時に「これは新しいな」と感じた作品は、今見てもやっぱり新しいわけです。その理由は、「新しさ」が技法ではなく、作品の設計思想そのものに宿っているためであると僕は考えます。誰かが生み出した技法を真似ることは出来ても、自分の代わりに考えてもらうことは出来ない。それが、コンテンツが古くならない理由ではないでしょうか。
(中略)
年末になると「今年の○○ベスト10」みたいな企画が乱立されますが、「今年の」と限定する必要性を感じないので、去年はオールタイムでいくつか作品を選ばせてもらいました。そんなに嫌なら選ばなきゃいいじゃん、言われそうですが、オールタイムって「前代未聞」という意味もあったはず。年末になのに全時代の作品から選ぶって、意味不明で「前代未聞」ではないですかね。