『School Days』試写会に関連して−「お金を払う」という価値基準の表明

DVD『School Days』第1巻の発売を記念いたしまして、TVアニメ『School Days』第12話の試写会を行います。
1日限りの試写会となりますのでこの機会にぜひともご参加ください。

http://12.0verflow.com/

これに対する反応。
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大体何にでも「相場」というものがあります。ライトノベル500〜600円、新書1000円、展覧会の図版2000円弱、TVアニメ1話無料。ただ僕は、それらの商品に対していくらまで払えるのか、ということは、相場とは無関係に自分で決めておくべき問題であると思います。
例えば無名のアーティストが「俺は自分の作品を100万円以下では売らない!」と宣言したとします。その人に対し、そんなにお金が欲しいのか、お前はアーティストじゃなくて商売人だ、と批判する人もいるでしょう。でも、値段を決めるということは、その人の価値基準を表明するのと同じなんですよね。この場合、作者は自分の作品に100万円以上の価値を見出すことが出来る、と宣言しているわけです。それを買う人も、やっぱり作品に100万円以上の価値を見出している。
アートは社会的有用性という共通の価値基準がない分、個人個人が独自に価値を見出していかなければいけません。あるいは、それまでに存在しなかった価値を見出すというプロセスこそがアートであると言っても良いでしょう。その手段としてもっともわかりやすいのが「それにいくらまで払えるか」という自問。だから、僕はアートと商業性というのは絶対に切り離せないものではないかと思います。


もっとも、アートを隠蔽するのもやはり商業性なのです。100億円の絵を買った人だって、案外2000万円くらいで買った絵の方が好みにあっていたのかもしれません。TVアニメにしても、毎週タダで見ることが出来るという状況下で「アニメ1話にいくら払えるか」と自問することは難しいでしょう。
それはそれで仕方ないのかもしれない。でも、『School Days』の最終話が放送中止になって、原作のoverflowが原作ゲーム持参という条件(実質的には入場料7000円くらい)で試写会をやろうとしたら[これはひどい]のタグが乱れ打ち、という状況はやっぱりおかしいのではないでしょうか。それだけお金を払わせる価値があるとOverflowが判断して、お金を払う価値があると判断した人が見に来る。アニメはタダで見るものだと思っている人たちよりは価値基準が明確な分だけ立派であると僕は思います。
そんなことして他のスポンサーとの関係がやばいんじゃないのとか、原作ゲーム持参よりも素直に入場料7000円の方が良かったのでは、というかそもそもDVD発売記念なのに原作ゲーム持参というのはおかしいのでは、などの問題点はあるでしょうが、最終話の放送中止にOverflowが関わっていないという前提に立つのであれば、少なくとも放送中止から有料で試写会という流れに批判されるべき点はありません。ボランティアでやるわけじゃないのだから、原作買わせるのもしかたないのかもしれませんし。


書いている内に気付きましたが、これCIRCUSの曲芸商法批判の話と似ていますね。僕の考えとしては、ファンディスク結構じゃないかと。パッケージだけ変更も別に悪いとは思いません。ただ、僕の経験上それらの商品に7000円払う価値はない、と判断したので買わないことにしているというだけの話。僕はエロゲもアートだと思っているので、倫理的問題に落とし込むのは面白くないんですよ。