『MURDER PRINCESS』−思想とファッションの間で

MURDER PRINCESS DVD VI

MURDER PRINCESS DVD VI

最終話を見終えたので2回目の感想を。1回目はこちら
非常に綺麗な終わり方をしたのですが、綺麗過ぎるというか、無菌室の中に放り込まれたんじゃないかというくらい後腐れのない終わり方でしたね。『ターミネーター2』のように、必要とされなくなったキャラクタは笑顔でこの世界から消えていく、塵ひとつ残さずに。かくして、世界は最大公約数的に望ましい姿へと収まったのでした。
ひとことで言えば、とってつけたようなあざとさが鼻につきましたね。
あざとい作品が嫌いだというわけではなくて、むしろ、あざとさを徹底的に追求した『AIR』みたいな作品は大好きです。ただ、あざとさというのは極めて一義的なものなんですよ。このシーンにはこういう意味があって、こういう反応をするのが一般的だ、と視聴者に指示してくるように。『MURDER PRINCESS』という素材は本来、そういった一義的な理解を排除する性質を持っている、と僕は思っていました。

白いドレスをわざと返り血で汚してみたり、幼女にナイフを持たせてみたり。これらは端的には、境界を揺るがせるものだと言えるでしょう。返り血は身体の内と外の境界を、あるいは浄めと穢れの境界を、ナイフは無垢と狂気の境界を、という風に。クリステヴァはそれらを「アブジェクト(おぞましいもの)」、アブジェクトを捨て去って自己の境界を確定しようとするのと同時にそれを魅力的にも感じることを「アブジェクション」と呼びましたが、それには本質的に様々な境界を動かし、作品領域を広げていく力があるわけです。
そういう素材を、通俗的で、一般的な道徳に引きずられていくような物語の中に押し込めてしまったわけで、思想性のない単なるアンバランスなファッションになってしまったのではないかな、と。
いかにも「打ち込みで作りました」的な固めのBGMに合わせて展開されるバトルアクションも、決してレベルが低いというわけではありませんが、若干パンチ力不足ではないかと思います。