作者に嫌われてはいけないのか

ある人が「うちは作家から嫌われているらしい」とこぼしていた。
そういう視点で物を考えたことは無かった。
ウパ日記も、もし目撃されたとしたら、嫌われる可能性の方が高い。


そもそも、「小説という商売品」についてとやかく書いているのは、良いのだろうか。
果たしてボクはライトノベルを楽しんでいるのか。
ただ、ライトノベルにパラサイトして、適当にとぼして愉快がっているだけのクレーマーではないだろうか。


感想と称しながら、批評めいたことをえらそうに書いてさ。
だいたい、「ここは、こうするべきだ」とか「こうした方が面白いのに」とか、素人の癖に何様だよ。
作家や編集者や、読者が、ウパ日記を見て嘲笑している。この勘違いのケツ穴野郎が。

http://d.hatena.ne.jp/iris6462/20070723/1185120133

故・黒澤明監督による批評家を非難した発言で「こっちは赤く塗ったつもりなのに、青くないって怒られるんだからさ」というものがあります。単純な信者ならいかにも喜びそうな発言ですが、単なるグチでしかない、と僕は思います。
作り手の意図が全面的に反映されるわけではない。表現とはそういうものです(ラノベでも何でも)。つまり「作り手」と「受け手」の間には、「意識と無意識」「意図と偶然」「ビジネスと娯楽」という深い断絶が存在しており、その断絶を記述することが批評の役割である、と言えるのではないでしょうか。
もっとはっきり言えば、作者が「うんうん。その通り!よく言ってくれた!」と褒めてくれるような批評なんて大して意味ないですよ。怒らせる必要もありませんが、作り手が自覚していない部分こそが批評の領域であると僕は考えます。
とはいえ、黒澤発言が批評の現状に対して一定の意味を持つのも、また確かです。要するに「青くない!」だけで終わってしまう評者が余りに多すぎる、ということ。赤く塗ることを批判するのであれば、青く塗ることの優位性を明確に示さない限り「クレーマー」と呼ばれても仕方ないでしょう(引用元の筆者がそうだという話ではありませんよ。念のため)。


あと、「私の書いているものは批評ではない。感想である」という言葉はよく聞きますが、両者の間にどれほどの違いがあるのか、僕にはよくわかりません。自分の感情「だけ」で感想が書ける人はいないし、感情を抜きにして批評が出来る人もいません。ただ、どちらにせよ、自分の感想(あるいは批評)に情報としての価値を持たせたいのであれば、自分が今どういう場所に立っているのか、どのような好みや偏見を持っているのかを明確に自覚して、それを正直に書いていくことが一番大切だと思います。
どのような形であれ、作品を語る言葉というのは「私」と「作品」、「私」と「社会」の関係からしか生まれてこないのですから。
自戒の意味を込めて。僕は作者のサインも作者の褒め言葉もオフ会もいらないし、毎月エロゲが買えるくらいのアフィリエイトは……欲しいけど、もっと上手く作品批評が出来るようになりたいです。