トッド・ブラウニング『フリークス』

フリークス [DVD]

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ハリウッド史上最大のスキャンダル作品と呼ばれる本作ですが、何はともあれストーリィの紹介から始めましょう。ちなみにこの記事にはネタバレしかありませんので、本作を既にご覧になった方、あるいは今後も見る予定がない方だけ続きを読むことをオススメします。
舞台は見世物小屋空中ブランコ乗りのクレオパトラは小人のハンスと結婚するのですが、クレオパトラは実は怪力男のヘラクレスとも通じており、遺産目当てにハンスを毒殺しようとします。しかしそれに気付いたハンスと仲間たちはクレオパトラヘラクレスに復讐することに……という話。
ストーリィ自体はよくある勧善懲悪ものと言っても良いでしょう。
しかし、この映画のタイトルは『フリークス(奇形)』。すなわち、登場人物たちの多くが何らかの障害を持った「奇形見世物」の芸人である、ということが本作において最も重要な要素となっています(ちなみに特撮ではありません)。
そのことを踏まえた上で改めてストーリィを読み直してみましょう。
健常者であるクレオパトラヘラクレス。この2人は遺産目当てに発達障害、いわゆる小人症のハンスに近づきます。ハンスはクレオパトラに心を開き、また芸人仲間たちもクレオパトラを仲間として認めようとするのでした。
ところが結婚式の夜、仲間として歓迎しようとする彼らの前で、酔ったクレオパトラは本心をぶちまけてしまいます。「汚らわしい、醜悪なフリーク(字幕では「怪物」と出る)!冗談じゃない、私が仲間ですって!」。
全てを悟った彼らの復讐が始まります。「一人に対する侮辱は、全員に対する侮辱」という、「フリークスの掟」に従って。
……何というか、非常にやっかいな作品。悪趣味だ、と切り捨てられれば話は簡単ですが、クライマックス以外はむしろ暖かい話なんですよね。クレオパトラに騙されるハンスも、見た目こそ子どものようですが性格は紳士そのもの。他の仲間たちからも芸人としての自信が感じられ、むしろ彼らを馬鹿にする健常者の側こそが異常である、という風に描かれています。
監督のブラウニング自身、映画界に入る前は見世物小屋で働いており、当然この映画に登場するような奇形者たちとも交流がありました。そのため、この映画において彼らに注がれるブラウニングの視線も決して後ろ暗いものではありません。だから、この映画のテーマを大雑把に言えば「人を見かけで判断してはいけない」という、ごく常識的なものになるのでしょう。クライマックスを除けば。
嵐の夜に復讐を始めた彼らはナイフと拳銃を持ってクレオパトラに迫ります。闇夜に響くクレオパトラの悲鳴。そして時間は流れ、舞台は別の見世物小屋へ。そこで見世物にされていたのは、手足と舌を切り取られ、かつて自身が「汚らわしい、醜悪なフリーク」と呼んだ姿にされたクレオパトラでした……。
因果応報、と言えなくもありません。しかし、ここまで一貫して奇形者に対し暖かいまなざしを注いでいたブラウニングがなぜ突然彼らを「自らを侮辱するものに血をもって制裁を加える」本物の怪物にしてしまったのか、実に不思議です。
結局は商売ですから「恐いもの見たさ」のニーズに応えただけという可能性も否定できません。しかし、奇形となったクレオパトラの姿によってそれに応えようとしたことによって、物語の一貫性は失われ、正しい解釈を持たない混沌とした作品になってしまったのです。それとも、姿形を問わず人間全てが悪意を持つということを描きたかったのか……
映画とは見る人を映す鏡である、と言いますが、『フリークス』という映画は「目を持った鏡」であると僕は思います。自らが鏡に映されていることを、嫌でも意識させられるのですから。