重森三玲の庭・その2

先週の続きです。例によって写真が多いので畳みます。

まずは東福寺塔頭・龍吟庵の庭園です。こちらは通常非公開なのですが、2年ほど前の秋に特別公開されていたので見に行ってきました。
建築も室町時代初期のもので国宝ですが、今回は庭園の話。お寺の名前そのままで龍が雲間から姿を表す光景をイメージして作られています。例によって水のない枯山水の庭園。
そもそも重森氏の庭園は枯山水がほとんどなのですが、これには一応理由があります。端的に言えば「永遠」に対するこだわりが原因である、ということ。氏の著作を読んでいると頻繁に「永遠のモダン」という言葉が出てくるのですが、これはつまり、同時代だけではなく後の時代においても高く評価されるような庭園でなくてはいけない、ということなんですね。後の時代に評価されるためには、まず後の時代まで残っていなければならない。水や植物は枯れるけど石は簡単には風化しない。というわけで枯山水の庭が多いのです。


またまた東福寺塔頭・光明院の庭園です。こちらは常時公開しています。ちなみに拝観料は志納制(寄付制)。
昭和十四年だったかな?東福寺は境内の整備計画を立て、建築系の整備を京大の天沼俊一氏に、周辺環境系の整備を重森氏に依頼しており、その関係から東福寺には氏の庭園が多く残されています。こちらの光明院は確か、前回取り上げた本坊方丈の作庭が終わったあとに依頼されたものだったはず。
特徴は何といっても背景の大刈り込みでしょう。岡山の頼久寺を連想させます。
http://www1.ocn.ne.jp/~tentyu/sub8.htm
光明院は氏の庭園の中ではかなりとっつきやすい部類に属すると思います。先日の台風では庭が水没して枯山水が池泉庭園になってしまったと聞きましたが、今はどうなっているのやら……。