『Yes! プリキュア5』は将来の夢を見るか?

日曜朝だ!スーパーヒーロータイムだ!終わったらプリキュアだ!というわけで今日は『YES! プリキュア5』の話です。眠い!
これまでの話を見る限りでは、OPの歌詞にある「大きくなったら何になりたい?」というのが作品のテーマみたいですね。5人の主人公もそれぞれが「自分の夢を見つけていない(ピンク)」「夢を絞りきれない(赤)」「夢に向かって走っている(レモン)」「夢に自信がない(緑)」「他人に振り回されて自分の夢が見えない(青)」と、将来の夢に関する困難を抱えているわけです。
それと対比する形で描かれているのが悪役のナイトメア。良くも悪くもこの悪役達の存在が『YES! プリキュア5』最大の特徴ではないかと思います。

この世界では「悪の組織」がきちんとした会社組織を持っていて、プリキュアを倒さないと給料が出ないだとか、戦いで経費を使いすぎたことで上司から嫌味を言われるだとか、現実社会に即した形で描かれています。
既成作品の悪役に対するアンチ、と解釈することも出来るのですが、それだけではないでしょう。ナイトメアというのは、子どもの頃考えていた「将来なりたくない自分」そのものではないか、と。
最近の子どもがどうなのかは知りませんが、将来の夢を聞かれて「会社員」と答えることに抵抗を感じる人は多かったはず。何が楽しいのかわからない、誰の役に立つのかわからない。「将来の夢」が別にあって、それになれなかった人が会社員になるんだ、というネガティブな印象を子どもの頃持っていた人も多いのではないでしょうか?ナイトメアという悪役は「夢を捨ててしまった自分」を体現したような存在ではないか、と僕は思います。「将来の夢」に対して否定的な言動をするキャラクタが多いですしね。
既に大人になった自分としてはある種の共感を持ってナイトメアを見ているのですが、子どもはまた違った視点で見ているのでしょう。作品を計っているのではなく、作品に計られているのではないかという疑問。その辺がプリキュアの魅力だろうと思います。
もちろんいくつか不満を感じる点もあります。例えばバトルシーンが全体の流れの中で浮いているのではないか、ということ。プリキュアが全員揃うまでの1〜6話はそれなりの必然性が感じられたのですが(特に5話は良かった)、それぞれのプリキュアの悩みを解決していく話に入ると、変身及びバトルの必要性を全く感じない話が多く見られるようになりました。むしろ、悩みが解決されようとしているその時にナイトメアが現われてそれと戦った後に改めて解決シーン、というわけで、物語の流れがバトルシーンによって切断されているという印象さえ受けることも(特に16話の「こまち小説家断念!?」)。
もちろん成功例もあります。例えば12話の「うららのステージを守れ!」。

遊園地のショーがナイトメアに襲われたので、主人公たちはプリキュアに変身して「キャラクターショー」に見せかけることでショーを続行しつつ戦う、という話。やっぱり無茶な話なんですけど、無茶なりに筋が通っていて良かったです。
もうひとつ不満を述べると、変身シーン長すぎ。最大で1分半近くあるので省略されることが多いわけですが、話によって省略する箇所が変わるんですね。「ここで時間を調整しているのか……」というのがあからさま過ぎて気になりますね。
とまあ文句も付けてみましたが、面白い番組です。変な悪役が多いのもプリキュアシリーズの特徴ですが、これほど悪役に感情移入してしまうのも珍しいし、人数が増えたにも関わらず、1話の中で5人全員にきっちり見せ場を与えている点も好感が持てます。