ヌーヴェルヴァーグの作家たち・その1『恐るべき子供たち』
本日から3回に分けて、1950年代のフランスから始まった映画刷新運動「ヌーヴェルヴァーグ」について書いていきたいと思います。
フランスはリュミエール兄弟が映画を発明し、今でもカンヌ映画祭をやっている国ですから、映画については長い長い伝統と権威があるわけです。特に1950年代のフランス映画界というのは、まず「よく出来た(ウェルメイドな)映画」ありきで、それにどこまで迫れるかによって映画の評価は決まりました。つまりは超保守的だったということ。
そんな風潮を批判したのが映画誌「カイエ・デュ・シネマ」周辺の、一日中映画を見て過ごすような映画狂の若者たちでした。彼らは批判だけでは飽き足らず、映画機材の軽量化など技術革新にも後押しされ、少人数によるロケ撮影での映画作りを実践したのです。それまでの映画作りといえば大きなスタジオにセットを組んで、大スターを主役に据えていたわけですが、ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の人々はその逆を行くことで低予算での映画作りを実現したわけです。
それは同時に、映画の面白さとはセットの豪華さや俳優の演技力ではなく、監督の作家性であるという価値観の変化をもたらします。その後、トリュフォー、ゴダールなど「個性的」としか言いようのない映画監督が登場してくるのですが、それには映画作りの低予算化というのも関係していることは是非覚えておいてください。
さて、ヌーヴェルヴァーグ作品の具体的な特徴については次回以降で触れていくとして、今回はその前史的な作品、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『恐るべき子供たち』を紹介しましょう。
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姉弟の聖域になった部屋。しかし、突然現われた新しい同居人によってその聖域はかき乱されることになります。その時、姉弟はどうするのか?という話。
よく「近親相姦を扱った話」だと言われるのですが、それは少し違うんじゃないかな、と。姉弟が男女の関係になるのではなく、いつまでも自分の世界に留まろうとする「子供の論理」を描いた話なんですね。まず最初にテーマがある作品です。
登場人物の感情なんて興味ないことをアピールするように、劇中音楽も主旋律を持たないポリフォニックなものが使われています。感情を代弁するような音楽では、まったくありません。
音楽もそうですが、独特のフィルム編集もそれまでのウェルメイドなフランス映画とは異なる価値観を提示しています。ワンシーンが短くて次々と場面が切り替わっていく、独特のリズムがこの映画の持ち味です。そして俯瞰・仰角など数々のアングルを頻繁に切り替えるカメラワーク……。
上手い下手を超えて、とにかく強烈な作家性を意識させる作品です。メルヴィル監督はヌーヴェルヴァーグの中に含まれないことも多いのですが、その影響力ついては軽視できないものがあると言えるのではないでしょうか。
今回はここまで。次回はフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』を取り上げる予定です。
続き⇒ヌーヴェルヴァーグの作家たち・その2『大人は判ってくれない』 - tukinohaの絶対ブログ領域