瀬戸内寂聴さんのお話を聞いてきました。

今日、瀬戸内寂聴さんのお話を聞く機会があったので、気になった部分だけ書き留めておきましょう。
仏教の戒律では「嘘をついてはいけない」ということになっている。でも小説家は「嘘を本当らしく見せるのが仕事だ」と寂聴さんはおっしゃいました。
戒律を守らなきゃだめじゃないか、と普通は思うわけですよ。しかし寂聴さんは「守れそうもないことを戒律にしている」。だから守れないのは当たり前である、と。「他人の悪口を言いながらお酒を飲むのは楽しいでしょう?」確かに。では、戒律にはどういう意味があるのでしょうか?
「寝る前に、その日守れなかった戒律について仏様に謝ります」。それを何日か続けているうちに自分がいかに弱い人間かということがわかってくる。そのための戒律なのだ、と。
ああ、なるほど……。
「あれをしろ、これをしろ」という仏ではなく、自分から飛び込んでいく対象としての仏。僕はそういう風に理解したのですが、あっているでしょうか?
超人思想的な人間観とは対極的、と見せかけて案外近いものかもしれませんね。「汝為すべし」に行き着かない信仰……このような信仰のあり方は超人の生き方にも通じるところがあります。


まあ、本当のことを言えば、瀬戸内寂聴さんと同じ場所で講演した梅原猛先生が「柿本人麻呂が乗り移った」とか「世阿弥が乗り移った」などとおっしゃっていたことの方が印象深かったんですけどね。相変わらずシャーマンな梅原先生。