「毎週見る」と「まとめてみる」の違い
当ブログではこれまでに何度か、現代ほどコンテンツの劣化が遅い時代はかつてなかった、ということを主張してきました。
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ただ、それと同時に問題となるのは、コンテンツを消費する側の態度です。劣化しないコンテンツと変化し続ける身体性との間に生まれるギャップ、あるいは偏見についても考察する必要がある、と僕は考えています。
しかし、今回特に問題としたいのは、より即物的な側面、たとえば古いアニメを見るときの「DVDでまとめて見る」という消費のされ方と、新しいアニメを見るときの「毎週1話ずつ見る」という消費のされ方との間に生じる、アニメの受け取られ方の違いについてです。
「え、何か違いがあるの?」と思われた方のために、例として、ジョン・フィスクの『テレビジョンカルチャー』を引用してみましょう。
「(テレビドラマの視聴者が「この先の展開はこうするべきだ」という風に作品へ口出しし始める行為について)
視聴者によるこのような『脚本執筆』は、テレビジョンの出来事は現在起こっているという感覚が、視聴者と同じ時間尺度で進行するからこそ可能になるのである。テレビジョンの連続ドラマの将来は、本当の将来と同じように『書かれざるもの』のように見えるからなのである。この点、書籍や映画は違う。書籍や映画の読者・観客は結末が既に書かれており、最後には明らかになることを知っている」
以上の言葉を額面どおりに受け取ることは出来ないでしょうが、それでも作品と視聴者の共時性が重要な要素であることに変わりはありません。
たとえば『おジャ魔女どれみ』では放送期間と作中で流れた時間が共に4年間と一致させることによって、視聴者(特に大きなお友達)に「登場人物たちと同じ時間を過ごしている」という感覚を与えることに成功しています。また、ブログ界隈における『Kanon』や『まなびストレート!』に関する言説の多さは、それらの作品が「未完である」ことによってレビュアーの想像力が刺激されたためである、とも言えるでしょう。
このように、どのタイミングで、またどのような方法で視聴するかによって感想は大きく変化します。しかし、僕らの書くレビューは、書かれた時のまま変化しません。そのため、全てのレビュアーには以下の疑問が突きつけられることになるでしょう。
リアルタイムで書かれたレビューは、DVDでまとめて見た人の役には立たないのか?
変化し続ける視聴環境の中で、自分の書いたレビューに責任は持てるのか?
そもそも普遍的なレビューというのはありえるのか?
今回は疑問を投げっぱなしで終わりますが、答えはこの記事を読んだそれぞれが考えれば良い、そういう問題であると思います。悩めるレビュアーに幸あれ(ついでに自分にも幸あれ)。
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