いかにして僕は泣けないエロゲを愛するようになったか

Something Orange エロゲに求めるものは、エロでも萌えでも泣きでもない
エロも萌えも泣きも、単に語りやすいから語られているだけであって、それらをエロゲの本質だと感じている人ってそんなにいないと思います。カウンターカルチャーとしての要素も同様。それらはミステリィにおけるトリックみたいなもので、たまたま記憶に残りやすいのでトリックについて語っているうちに自然とトリック至上主義者になってしまった、みたいなことが多いのではないでしょうか。
つまり、エロゲの中でも「泣けるエロゲ」が大きな位置を占めるようになった背景には、作品の性質上、「泣けた」とか「感動できる」みたいな画一的で記号的な感想を量産されたことによるユーザの「声の大きさ」があったんじゃないか、と思います。
もちろん、声が大きければ良いというわけでもありません。声の大きさを笠に着て薦められるのが不愉快だとか、ノイズが増えるとか、語彙が貧困になりそうだとかか、いろいろ不都合がある。僕も『水夏』や『CROSS†CHANNEL』、最近では『ef』など、あんまり泣けないエロゲを周りに薦めるヲタに転向した人間です。
一応書いておきますが、『AIR』や『Kanon』も大好きです。『世界ノ全テ』も結構好き。ただ、仮に僕が『AIR』で全然泣けなかったとしても、やっぱり好きなんですよ。どこが面白かったのか説明しろ、と言われても上手くできない。だからほとんどの人は、とりあえず「泣けたので良かった」と言っておけば角が立たないだろ、くらいの気持ちで「泣けるエロゲ」を勧めているのでしょう。たぶん。
面白さというのは、本来他人には伝えづらいものです。

蛇足ですが、小説読みや映画マニアも、彼らは彼らでストーリィや設定を語ることで面白さを伝えた気になっている、と僕は感じます。それってエロゲを「泣けるから」と薦める人たちとどこが違うの?人の振り見てわが身にローリングソバット。
参考にした記事
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