「『水からの伝言を信じないでください』を信じないでください」を信じないでください(もう打ち止め!)

これまでのあらすじ

水からの伝言」というトンデモ科学を批判した物理学者の田崎氏に対して「信者を説得するためには反証実験が必要だ」という、批判の批判が行われて段々話がややこしくなってきた。
メロンパンは美味しい。カリカリモフモフ

ポイントは以下の2点。
①「水からの伝言」がトンデモであることに異論はない(見る限りでは)。
②反証実験を行わない物理学者に対して、それが科学者として正しい態度であることは認められているが、現在蔓延しているトンデモに対しては有効でないと考える人がいる。
参考
音極堂茶室:『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう?
「で、みちアキはどうするの?」:みずでん
ゲームのためなら女房も泣かすし酒も止める:「「水からの伝言」を信じないでください」を信じないでください
というわけで争点は②となるわけですが、僕個人としては最初に「水からの伝言」批判を行った田崎氏の態度が全面的に正しいと考えています。
「水からの伝言」を信じないでください
なぜトンデモ科学の信者を説得するのに反証実験が有効ではないか、以下では反証実験を「出来ない」と「出来たとしてもするべきではない」の2点から問題を指摘します。
第1の問題点は「その反証実験が説得力を持つのか」という根本的な疑問です。「水からの伝言」では水によい言葉をかけてやるときれいな結晶が出来ると書かれているそうですが、そもそも「よい言葉」の定義がはっきりしない以上、厳密な反証実験が行えるはずがないのです。無理に反証実験を行ったとしても「お前の言葉は心がこもっていないので『よい言葉』ではない」など、無限に言い逃れが出来てしまいます。だからといって定義を厳密にしょうとしても、それは明らかに不可能です。誰か心を定義できますか?
反証可能性がないものに対し「反証実験を行え」というのは、無理な要求というものです。


第2の問題点は、仮に反証実験を行い、それで納得する信者がいたとしても、その信者がまた別のトンデモ科学に引っかからないと言えるのかという問題。むしろ反証実験は信者に対して別の悪影響を与えるのではないかと思います。そもそも異なるルールの元に存在している科学とトンデモを、同列に語られるものと思わせてしまうのではないでしょうか。


そもそもトンデモが蔓延するのは科学のプロセスを理解していないからなのに、それを伝えるべき科学者がプロセスを無視して反証実験を行うのであれば、新たにあらわれるトンデモ科学に対して何を根拠にして反論するのでしょうか。これが第3の問題点。


以上の理由から、「トンデモに対して反証実験を行え」という要求は不当であると結論付けます。そもそもトンデモは星の数ほど存在するのに、その一つひとつに反証実験を行うのは事実上不可能です。それよりは、たとえ時間がかかっても「科学の営みとは何か」を教える方がよほど早いでしょう。
マイナスイオン活性水素水、血液がサラサラでA型は几帳面。生きている限り、ひとつのトンデモにも引っかからないという人はいないでしょう。むしろ、引っかかった後のほうが重要で、そのときの助けとなるのが「科学とは何か」を考えた時間であると、僕は思います。