2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

幕末の借金を大正に取り立てる

「道義埋没の塚△浅野候を相手取る」(『万朝報』1914年4月30日) 和田某という人物の祖父は元郡山藩の納戸役(会計掛)をつとめ、のちに大阪へ出て商人となり巨万の富を得た。彼はその後、芸州藩(浅野家)の御用商人となったのだが、慶応三年の師走、当時は藩主の…

活動弁士(活弁)について

「女給生活」(『北陸タイムス』1914年4月23日) 活動弁士のキャリアステップと待遇について。富山県の映画館を念頭においた記事。 今茲に弁士にならうと云ふ者があるとすると先づ見習として実際舞台に立ち乍(なが)ら主任弁士其他の訓陶を受けるのであるが、そ…

近松秋江「博覧会見物」(『読売新聞』1914年4月12日) 当時東京で開催されていた大正博覧会の観覧記。著者の近松秋江は小説家・評論家。一応wikipediaにも記事があるので、有名なのだろうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%9D%BE%E7%A7%8B%E6%B…

「清浦子爵大命拝受」(『読売新聞』1914年4月1日) 第1次山本権兵衛内閣がシーメンス事件によって総辞職に追い込まれたのち、元老会議は貴族院議長の徳川家達を推薦。しかし家達はこれを辞退したため、元老会議は3月30日に枢密院議長の清浦圭吾を推薦した。31…