「社会問題と貧富の懸隔(上・下)」(『愛媛新報』1914年3月17日)
執筆者は早稲田大学教授の永井柳太郎。永井はのちに政界入りし、民政党親軍派の中心人物として大政翼賛会の結成にもかかわった。この記事で永井は、「現代の文明」のもとで国富が著しく増大したにも関わらず、それが大資本家や大地主のもとに集中しており、労働者や小作人は苦しい生活を強いられていると述べている。小資本家が大資本家と競争することは困難であり、そのため小資本家はトラストの中に組み込まれる。機械工業の発達は農民の副業に打撃を与え、彼らは土地を手放さずを得なくなる。
「現に村会議員の選挙権所有者は我国に於ける中等農民を代表するものなるが其村会議員の選挙権を有するものの数は年々減少しつつあるは確かに此間の消息を説明するものと云ふべし」。
このような資本主義に対する批判的見地と、永井がのちに社会改革の担い手として軍部に期待を寄せ民政党親軍派の中心になっていくことの間には、何らかの関係があるのではないだろうか。
もうひとつ重要だと思われるのが、永井が早稲田大学で「植民学」を教えていたということである。
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/handle/2297/17493
「内に立憲主義、外に帝国主義」とは大正時代の思想傾向を示すフレーズであるが、「外」の植民地で行われた社会改良と、「内」の本土で行われた社会改良はおそらく無関係ではない。