前回の更新からずっと京都にいたので、平凡な日常を送っています。被災したので更新できなかったとか、そういうわけではありません。知人もみな無事でした(確認できている限りでは)。
とはいえ、何事もなかったかのように普段通りの記事を書く気になれず、今回の災害について何かしら書いてから通常更新に戻りたいと思っていました。でも、難しいですね。日本の人文系学者の底の浅さが今回ほど露呈したことは無いように思われますが(とにかく主語がでかい)、歴史学者である自分としても、こういうときに過去の災害研究を参照して積極的に発言できなかったことを恥じ入るばかりです。
ところで、3か月前にはこんな本が出ていたのですね。

津波災害――減災社会を築く (岩波新書)

津波災害――減災社会を築く (岩波新書)

今更のように読みましたが、本書で警告されている「最悪の事態」が実現してしまった感があります。また、津波からの復興過程に起こる様々な困難についても、非常に啓発的な議論が展開されています。ひとつの集落に壊滅的な被害が出ることにより、復興過程でその構成員が大幅に入れ替わり、それによって津波の教訓が忘れられてしまうこと。津波後に高地への住居移転が進むも、漁協などが低地に残ったり、公共事業が低地に集中することで結局は皆、低地に戻ってしまったり。そこで、本書は次のような提言を行っています。

多くの政府・自治体関係者は復興事業を災害対策本部が所掌する業務だとは考えていない。復旧事業が終われば本部を解散してもよいと考えたり、あるいは要員をもとの部署に戻している。これでは、被災地は復旧しても将来の展望が描けず、結局寂れてしまうばかりである。
このように、これまでの公助による防災・減災の取組みを、もっと復興過程まで継続できるような法律の枠組みの改正が必須となっている。(168-169頁)

ただ、今回の地震津波は、ふたつの点で本書の想像力を超えていました。それについても指摘しておくべきでしょう。
ひとつは津波の破壊力。「津波の大きさを低減させるには、湾口の大水深部に津波防波堤を作るのが一番効果的である。岩手県釜石市や大船渡市は際立って安全になっている」(166頁)とありますが、言うまでもなく実際には大きな被害を受けました。
もうひとつは原子力発電所。本書の中では言及されていません。管見の限りでは、大矢根淳ほか『災害社会学入門』(2007年)で地震時の安全性について疑問が呈されています。ただ、津波との複合災害は想像されていないようです。
阪神大震災がそうであったように、今回の地震もおそらく災害研究における重要な転換点として記録されることになるでしょう(そんなことは後で考えれば良いのですが)。


あと、ブログを書いていない間もtwitterではいろいろ書いていましたので、そのまとめにリンクを貼っておきます。
tukinohaさんの『桜が作った「日本」』評 - Togetter
可能世界論の可能性/不可能性 - Togetter
次回からはまた『人退』各巻評に戻ります。