大正期の社会と社会科学(3)

ジャック・ドンズロ『家族に介入する社会』のあとがきに、ドゥルーズが「社会的なものの上昇」という短い書評を寄せています。近年の社会思想史研究で注目を集めている「社会的なもの」についての基本文献といえるこの書評のなかで、ドゥルーズは以下のように述べています。

社会的な領域は、司法領域に新しい拡がりを与えるとしても、それと混同されることはない。・・・・・・というのは、社会的なものがまさに社会経済のすべてを作り、新しい基礎に基づいて富裕なひとと貧しいひとを区別するからである。社会的なものは、公的な領域とも、私的な領域とも混同されない。なぜならば、社会的なものは、逆に公的なものと私的なものの新しい雑種的なかたちを導入し、そしてそれ自体が、国家の介入とその撤退、国家の負担とその軽減の再分配と独自のからみ合いを作り出すからである。*1

社会的な領域とは公的なものと私的なものの雑種的な領域であり、それは18〜19世紀にかけて形成されたものである。兵役と個人の肉体を結びつける衛生学はその産物と言えるだろうが、家族もまた国民経済と家政との結節点として、教育は司法と慣習の結節点として、それぞれ新たな位置を与えられたのだ、と。
この見解に異論があるわけではないのですが、ところで、なぜ「社会」ではなく「社会的なもの」なのでしょうか。医療社会学者・市野川容孝は『社会』のなかで「より正確に言うなら、本書が扱うのは「社会」という言葉ではない、「社会的」という言葉である。・・・・・・つまり、何らかの実体を想定させる「社会」という名詞ではなく、ある種の様相や様態、さらには運動を表現する「社会的 social」という形容(動)詞と、そこから派生する「社会的なもの the social」という概念が、本書のテーマである」と述べていますが*2、ここでは実体としての「社会」と現象としての「社会的なもの」とが区別されると同時に、その関係は問われることなく放置されています。
市野川の限定に逆らい「社会」を問おうとする場合、ネックになるのはその領域画定の難しさでしょう。杉田敦も指摘しているように、国家と社会は別のものである、とは言えても、「我々の社会」と言った場合それは国民国家の領域と一致してしまう*3。国家と市場を区別しようとしても、「社会人」という言葉が経済人のことを指しているように、両者は微妙なところで繋がってしまう。このように「社会」は捉えどころがないからこそ、あらゆる領域へと浸透していくことができる。ドゥルーズが言うように雑種的な領域としてのみ「社会」はあるのであって、「社会」それ自体を指し示すことは不可能である。先行研究の認識とはおおむね以上のようなものではないでしょうか。
しかし、我々はさらに次のように問いを立てることが出来ます。「社会」(実体)と「社会的なもの」(意味)は、そもそも別のものなのか。実は同一の事柄を別の側面から眺めているに過ぎないのではないか、と。
実際、我々が「社会」という言葉を口にするとき、具体的な何かを想定しているわけでは全くないわけです。例えば「日本社会」と言ったとき、それは国民のことなのか、政府のことなのか、あるいは経済か、文化か、それとも別の何かなのか。おそらくその全てであり、逆にそのどれでもないと言えるでしょう。「社会的なもの」についても事情は同じで、それは現実の客観的描写であるとも言えるし、抽象的概念であるとも言えます。市野川は「社会的なもの」の具体例として「ドイツ連邦共和国は、民主的、かつ社会的な国家である(ドイツ基本法第20条)」という文言を引用していますが、これは客観的描写というよりも、書くことによって文言のように自らを規定しようとしているわけです。つまり、これらの概念はもっぱら実体ではなく認識の過程に関わるものである、と。

*1:ジル・ドゥルーズ「社会的なものの上昇」1977年(宇波彰訳『家族に介入する社会』新曜社、1991年、281頁)。

*2:市野川容孝『社会』岩波書店、2006年、4頁

*3:杉田敦「社会は存在するか」『岩波講座 哲学10 社会/公共性の哲学』岩波書店、2009年