丸山眞男についての雑感

前回に引き続き丸山眞男について。
いま丸山を語るためには、どのような困難を引き受けなくてはならないのか。岩波新書から出ている『<私>時代のデモクラシー』を読みながら、そんなことを考えた(これは非常に良い本だと思う)。M・ウェーバーの言う「脱魔術化」について、丸山はそうして解放された個人が寄り集まり、結社を構成するのが近代であるという。しかし、「脱魔術化」は自発的に作られたはずの結社すらも、その抑圧性を告発し、解体に追い込むだろう。近代のデモクラシーが結社=政党を必須の要素とするならば、脱魔術化=近代化の進展は、逆説的にも政党を破壊し、近代のデモクラシーを解体することになる。
福祉国家についても同じことが言えるのではないか。手厚い福祉サービスによって個として生きることが可能になれば、人々は社会へと関心を払わなくなり、福祉の基盤となる社会的連帯は破壊される。むろん、デモクラシーも福祉も、その必要性は疑いようも無い。であるならば、脱魔術化=近代化の進展を前提としたうえでの、ポストモダンのデモクラシー・福祉のあり方を構想しなければならない。これはほとんど不可能といっても良いような問いであると思う。それはもはやデモクラシーとも福祉国家とも呼べない何かであるのかもしれない。ただ、そこで注目に値するのは、最晩年の丸山が1920年代の多元的国家論への注目を示していることだろう。
1990年代以降、丸山の理論を戦前まで遡って検討しようとする動きが見られるようになったことと、それは同一の問題意識を共有しているように思う。丸山において、常に言及されないことで否定的な意味を持ち続けた1920年代史は、ちょうど彼が思想形成を行った時期でもある。酒井哲哉の表現を借りるなら、1920年代は丸山における密教なのだ。明治維新顕教であるとすれば、だが。
丸山真男セレクション』をぱらぱらと読んでみる。そこに収録されている「福沢諭吉の哲学」、その中の、価値判断は「事物の置かれた具体的環境に応じ、それがもたらす実践的な効果との関連においてはじめて確定されねばならぬ」という一節に注目してみよう。それが場当たり的な判断ではない、と言えるのは何故なのか。そこには「進歩の思想」という軸があるからだ、と丸山は言う。とはいえ、丸山を単純な進歩主義者と見るべきでもない。丸山の『日本政治思想史研究』にメシア主義的な時間を見出すことも可能だろう。丸山における個人主義の問題も複雑だ。やはり福沢に依拠して「進歩とは事物の繁雑化に伴う価値の多面的分化である」と述べているが、そうした価値多元主義を唱える一方で「市民」の道徳を丸山は強調する。この乖離をどう埋めたら良いのか。

「現実とは本来一面において与えられたものであると同時に、他面で日々造られて行くものなのですが、普通「現実」というときはもっぱら前の契機だけが前面に出て現実のプラスティックな面は無視されます。いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。
――『「現実」主義の陥穽』――

現実を「作る」ものとして自らの言論活動を位置づける丸山に対し、それをどのように批判するのか。今の現実に合わない、ではダメだ。それは現実を作るものではなく、所与のものとして受け取っている、と反批判されるだろう。また、「政治的/道徳的に正しくない」という批判も面白くない。それは所与の「正しさ」に寄りかかった「惑溺」でしかない(残念ながら最近の普天間基地問題の報道は「現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます」という丸山の言葉を見事に体現しているように思われる)。
「俺の選択は正しい」ではなく「正しいのは俺だ」と言うべきなのだ。多くの批判に晒されながらも、現代において丸山真男を読む価値は、この一点に存在している。「デモクラシー」がいかに多義的な言葉であるとしても、「正しい選択」によってではなく「正しいのは俺だ」といえる人々によって支えられるものであること、これだけは不変の真理であるといえるだろう。
いま丸山を読む、というのは何らかの答えを探して読むことではない。それは丸山の思想を裏切ることだ。答えのない、宙吊りの状態から出発しなければならない。丸山にとっての「密教」が、全体主義という結末を迎える大正デモクラシーであることと、それは無関係ではないだろう。思想史家である市村弘正氏の言葉を借りるなら、1920年代史は「廃墟」に留まりながら、そこで思考する手立てを与えてくれるのである。

〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)

〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1)

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1)

増補 敗北の二十世紀 (ちくま学芸文庫)

増補 敗北の二十世紀 (ちくま学芸文庫)