新井円侍『シュガーダーク』

あまりにもタイトルが素敵なのと、mebaeさんのイラストが綺麗だったので買ってしまいました。そのときの感動を大切にして、本文は読まずに表紙だけ飾っておくのが個人的にはベストだと思います。
……何というか、この作者は「作家」になりたくて仕方なったのでしょう。小説を下敷きに小説を書いているという感じがひしひしと伝わってきました。

呼吸困難になった。逃げなくては、そう考えるのだが、まるで身体が言うことを聞かなかった。恐怖心がそのままパニックに化け、思考を塗りつぶした。……それは奇妙な感覚だった。逃げなくては。彼はそれだけを考えた。逃げなくては。あの幽霊から、この墓地から。まるで根でも生えたかのような足を、残ったいしを総動員して動かす。次の瞬間、力の抜けた膝がかくんと折れた。転んだ、と彼は思った。地面までが、ひどく遠く……
(やっぱり、ろくでもないことになった)
夜の墓地の真ん中で、少年は意識を失う。
(29〜30頁)

恐怖のあまり逃げ回るくらいに動転していても、(やっぱりろくでもないことになった)と自分の運命を客観視する冷静さはあるんですね。と、こういうお約束的な台詞をいちいち挟み込んでくるあたりが、端的にいって鼻につきます。

どす、と鳩尾につま先を突っ込まれた。
身体をくの字に折りながら、彼は苦悶とほとんど変わらない色の微笑を浮かべた。ひとたび終身刑を言い渡された以上、ここ死刑にされることにはならないだろうと思ってはいた。
(まあ、今こいつに死刑で殺されたとしても、それを咎める法などないが)
(11頁)

「あとがき」を読むかぎりでは、作者はきわめて謙虚で常識的で、少しの自虐が入った、はてなでブログでも書いてそうな人間という印象を受けました。きっと作者は一方的に殴られるような経験も、そんな経験に思いをはせる必要性もないまっとうな人生を送ってきたのではないでしょうか。
だから、「痛み」の描写が決定的に薄っぺらい。ヒロインを守るためとはいえ地獄のような苦痛を味わい、そしてヒロイン自身を傷つけるにも関らず、物語の後半に延々と流れるこのヒロイズムは何?と思わずにはいられません。
ついでに言えば「やるときはやる格好いい主人公」「ひたすらけなげなヒロイン」「悪者とみせかけてやっぱり悪者」「ご都合主義的に登場する助言者」という裏表のない人物群、救済を与えるためにとって付けられた設定、物語の素晴らしさに酔ったかのような文体(ラストが特に酷い)などが気になりました。ただ、この辺は技術的な問題なのでどうということもありません。いずれ改善されるでしょう。そこそこ器用になって日本の私小説の伝統の再生産に貢献し、宇野なんとか辺りにでも批判されて有名になればいいんじゃないでしょうか。