『ef - a tale of melodies.』第7話についての註釈と雑感

アバンにおいて雨宮優子が見せた「してやったり」という表情によって、賢明な視聴者であれば前回の告白がそれ自体優子の復讐であったことに気づいたことでしょう。こうして2人の蜜月は終りを告げ、それまでの愛情は憎しみへと裏返ります。各話タイトルも前回の「flection」から「reflection」へ、OPも白と黒の配色が逆転し、観辛いことこの上ありません。
今回の見所はやはり、雨宮兄の大活躍でしょう。「ワカメパンチ炸裂!」という感じでしたね。アニメ化でぐっと魅力が増したキャラクタだと思います。レクター博士みたい。

再びアバンについて触れますが、これは今までで一番上手いと思いました。ファーストショットで注意を引き付け、優子の周囲をぐるっと回りながらタメて、それから顔を映し、最後に素早いパンでOPへとなだれ込む構成の上手さ。強弱取り混ぜた雨音も美しい。それともうひとつ、「and」という文字が浮かび上がり、雨が地面を叩き、その中を優子が歩き、少し顔を上げる一連の流れは原作の『ef - the latter tale.』OPとよく似ています。原作でもOPが流れたのは物語のちょうど真ん中あたりなので、意識した可能性は高いのではないかと。
本編については「子どもは大人に勝てない」「しかし大人は最初から負けている」という2つのテーマがせめぎ合っている真っ最中。金も力もなく優子を奪うことも出来ない子どもの火村は、大人である雨宮兄にボロ負けする。それと対応するように、羽山ミズキは大人である久瀬修一に拒絶され、あっさりと引き下がる。彼らが勝てないのは「正義感だけで何もできないガキ」だから。しかし、大人たちは子どもに倒されるまでもなく、自分自身に負けている。雨宮兄や久瀬がやさぐれてしまったのは、果たして震災や病気のためだけだと言えるでしょうか?

境界である橋上の対話。優子の告白が始まると、時間の流れがゆっくりになったことを示すために雨粒が大きくはっきりと描かれるようになります。それ自体はインパクトの弱い手法ですが、対話が終って火村が歩きだし、景色が元に戻る瞬間の落差が面白い。火村自身は確かに境界を越えたと思ったのでしょうが、それが一過性のものでしかないことを表しているようにも思われます。


その後で描かれる火村と雨宮兄の対決が今回のハイライト。色がない=迷いのある火村と、僅かな色で埋め尽くされた=足りないものは多いが迷いはない雨宮兄とでは勝負にもならず、火村はボコボコにされてしまう。モノクロ画面が迷いを表しているというのは、言われてみれば第1期の冒頭、麻生蓮冶が「将来の夢」を問われて途方に暮れているシーンからずっとそうでした。こうやって自ら演出意図を語るのはあまり格好の良いものではありませんが、ネタばらしによって物語の意味を「反転」させる効果は十分に発揮されたと言えるでしょう。第1話を観たとき、原作にあったギミック的なものがばっさり切り捨てられていたので、シンプルに作るのかと思ったらこういうところに仕込んでいるとは……。あと、雨宮兄を演じる声優さんの演技も素晴らしかったですね。特に火村を殴り終わって「言ったはずだ」という辺り。

今回の久瀬・ミズキパートはラストが泣けますね……。発作を起こし、床に落ちた薬を這いつくばって拾い集める久瀬。そんな陰惨なシーンに流れる、穏やかで優しいメロディ。この瞬間、久瀬修一という人間の本質が見えた気がしました。対位法的な音楽の使い方は見事としか言いようがありません。
その直前には久瀬による「問い詰め」が行われますが、言葉を重ねるたびに久瀬とミズキの断絶が広がっていくという趣向はわかりやすい(原作ではその代わりに、久瀬が最悪なことをしています)。しかしそれよりも、僕は前半の軽快な久瀬と凪の対話の方が面白いと思いました。どんどん凪に迫っていくカメラ、錠剤を加える仮面というユーモラスな構図、芝居がかった台詞に音楽、どれをとってもシリアスな展開の続くこの第7話では異彩を放っていました。


簡単ですが今回はこれくらいで。最近理屈が先走りすぎだと評判悪いので(確かにその通りだ)。次回は「reutter」。リアカー?病気になったヒロインを乗っけて、台風の中、病院まで運ぶわけですね(わかる人にはわかるネタ)。