機動戦士ガンダム00』の設定のキモは、全世界の需要を満たすだけのエネルギィが太陽光発電システムによって既に存在している、ということにあります。それをどう分配するか、というのは二次的な問題でしかありません。
と、昨日はそんなことを直感したのですが、この類の直感に裏切られたことがないのでもうしばらく考えてみようと思います。全然論理的ではないですね、はい。
だいぶ間が空きましたが、もうひとつのブログを更新しました。今回のテーマは日本中世史の研究史について。
http://d.hatena.ne.jp/tukinoha2/20081013
そのうち近代史の話に戻ります。中世史とか映画の話なんて興味ねーよという方は全力でスルーしてください。


とある魔術の禁書目録』第2話を見てて、ちょっとだけ気になった台詞。

「こんな小さな女の子を、よってたかって追い回して、血まみれにして……。
これだけのリアルを前に、まだ自分の正義を語ることができんのかよ!」

いったい「リアル」って何なのでしょうね?『蟹工船』が流行っているのをみても、「痛み」こそがリアルであるという反文明主義と、同じリアルを共有することで連帯感を拡大することが可能になるのだという倫理的態度が見受けられます。しかし、短期的な倫理関係にとらわれることで、長期的な政治目標に対する視野狭窄を生み出す、という問題も考えられるでしょう。つまり「かわいそう!」で思考停止してしまう。そして何よりも、その「リアル」をフィクションの中で消費している僕たちは、はたしてその矛盾をどう受け止めているのでしょうか?
なんてことを考えた次第。