ef - the latter tale.』を買ってきました。ゲーマーズで特典を貰い忘れたことに先ほど気づいて、失神しそう。それはともかく、週末は全力で二次元世界に引きこもる予定なので、普段よりちょっと早いですがもうひとつのブログを更新。今回のテーマは「学校の二宮金次郎」です。
http://d.hatena.ne.jp/tukinoha2/20080530
京都府立図書館に行ったら懐かしい二宮金次郎像が立っていたので、つい。


それと最近『プラネテス』を見ていたのですが、タナベが「愛です!」と連呼するのを聞きながらこんな話を思い出しました。
病気の人が10人いて、薬が1人分しかない、ただし薬を10等分すると効き目がなくなってしまう、という状況を仮定します。この場合、現実的に考えられる対応は以下の5つ。
1.くじ引きでひとりを選び、その人に薬を与える。
2.今後一番長生きしそうな人に薬を与える。
3.一番症状が重い人に薬を与える。
4.一番お金を出した人、あるいは社会的に重要な地位にある人に与える。
5.効かないことを承知で薬を10等分する。
平等性、という観点から見れば1か5になるでしょう。ただし、例えば10人のうち9人は薬を欲しいと思っていない、早く死にたいと思っていると仮定します。それでもくじ引きで選ぶことは平等だと言えるでしょうか?かといって5を選ぶと全員死んでしまいます。
現実社会で採用されている方法は、闇取引などあまり考えたくない場合を除外すれば、2か3のどちらか、あるいは両者の組み合わせです。臓器移植のような具体的な問題でも、全員を助けることが理想としてある一方で、現実は「誰から助けるか」という優先順位を付けざるをえません。
これは何も「現実は厳しいのだ」なんて悟ったようなことを言いたいわけではありません。
まず、平等を実現するためには全員に行き渡るだけの薬が必要となる、というのがひとつ。「命は平等に価値がある」と叫ぶタナベが直面したのもまさにこの問題。
次に、どこかに全員を助けられるだけの薬があると信じられるからこそ、現実が不平等だと感じられるのだ、というのがひとつ。宇宙の権益を先進国が独占していることに宇宙解放戦線が憤ったのはこのため。
そして最後に、平等という理念を、例えば功利主義のような単一原理から導きだすことは非常に難しい、ということ。ミルもベンサムも、最大多数の最大幸福を実現すれば平等も自然と実現されると思っていた、というより、両者が矛盾するとは思っていなかった。本当はそうじゃないのは上記の通り。トリアージ云々の話を聞いて、ある人は「可哀想」と感じ、またある人は「可哀想といってるやつは感傷的」と感じているのは、たぶんこのため。って、別の話題が混じったか……。

プラネテス 1 [DVD]

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