さらに思いつき

初音ミクに学ぶポピュラー・カルチャー論」という記事を書いたら面白いんじゃないでしょうか。
近代芸術は「独創」を御神体にしていたわけですが、それは同時に「私有」の概念とも深く結びついていたわけです。現代では、例えばラップ・ミュージックがサンプリングという手法を通して、どのような芸術であれ「独創的ではない」ことを見せ付けている。それと同時に、その芸術が誰のものかをあいまいにしてしまう。現在、初音ミク周辺で起こっている騒動というのはその流れの一部である、と考えられます。
もうひとつ、ポピュラー・カルチャーを巡る議論というのは往々にして「俺の後ろには大衆がいるぜ!」という、昔の左翼みたいに「大衆という権威」を借りるための議論になりがちです。サッカーや競馬を、「英国性」を語るために都合よく引用したT・S・エリオットのように。初音ミクをもって社会を語ろうというのはある意味「どういう社会であって欲しいか」という願望を語っているのに近いところがあるわけですが以下略。ちょっとお出かけしてきます。