雑記12/10

師走なので毎日ジョギングしています。

小林多喜二の『蟹工船』を読了。概ねリアリズムに基づいた話なんですけど、カムチャッカに漂着した船員の前に突如中国人が現われて「ロシア、働かない人いない。ずるい人いない」と社会主義国家の素晴らしさを宣伝する辺りがズレてて、ちょっと笑えました。
小林多喜二という人は秋田の貧農の生まれですが、親類の援助によって小樽の高等学校を卒業し、その後労働運動に傾倒していきます。自身が高等学校出のインテリであるというプライド、そのインテリの見識をもって貧しい人々の立場を代表しなければならないという義務感、小林多喜二の作品から僕が感じたのはそんなところですね。遅れてきたインテリであるだけに、よりインテリらしくあろうとしたというか……。

最近『古事記』を読みながら考えたのですが、「見る」ということには相手を支配する意味がこめられているのではないか、と。イザナギイザナミを覗き見たために彼女の逆鱗に触れ、『鶴の恩返し』では機織している姿をやはり覗き見たために鶴は去ってしまい、カメラで撮影されると魂が抜かれ、西洋の魔女は眼で呪いをかける。
ゴダールの映画で、登場人物がカメラを正面から見据えたときの不安感は何だろう?平凡な日常がカメラを通すことで違った世界に見えるのはどうして?映像作品の持つ根源的な魅力に関わる問題かも。