映画の中の英語
英語の支配の件 - G★RDIAS
英語帝国主義の問題と関連して、映画『猿の惑星』の話を少し。結末のネタバレがあります。
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宇宙飛行士のテイラーが不時着した惑星では、猿が人間を支配していました。とんでもないところに来てしまった……。猿から逃れ、旅に出るテイラー。しかし彼は、砂浜に埋もれた自由の女神像を見つけた瞬間に、その惑星が未来の地球であることを悟ったのでした。
このクライマックスは非常に有名で、「まさか猿の惑星が地球だったなんて!」と驚かせるのが映画の目的のひとつであることは間違いないでしょう。
しかし。
猿が英語で話しているという時点で、そこが地球であるということは明白であり、「テイラー、落ち着け」と言いたくなります。ご都合主義というにはあまりもアレな話。
もっとも、この手の話は特に珍しくもありません。戦争映画でドイツ軍が英語で会話をしているとか、サムライが流暢な英語を話しているとか。全く逆のパターンとして『ディア・ハンター』を挙げておきましょう。ヴェトナム兵の話す言葉がアメリカ兵には全く通じず、単なる奇声にしか聴こえないという状況を通して、言語を隔てた「敵」「味方」の断絶を描いています。
『猿の惑星』にせよ、『ディア・ハンター』にせよ、英語を「標準」とすることで、それ以外の言語あるいは文化の地域性を強調しているわけです。この辺の感覚は字幕だとわかりづらいので、素直に吹き替えで見たほうが良いかも。