秋山瑞人『猫の地球儀』

猫の地球儀〈その2〉幽の章 (電撃文庫)猫の地球儀 焔の章 (電撃文庫)
表紙では赤いつなぎを着た女の子が目立っていますが、主人公はタイトルどおり猫の方。物語の舞台・「トルクの猫はデジタル信号を電波に乗せて会話することができる」高い知性の持ち主です。
そのうちの一匹である幽(かすか)は相棒のロボットと共に、宇宙の彼方に見える星「地球儀」を目指します。これは、そんな星空への夢を追う猫・スカイウォーカーの物語。
「感動した」や「泣けた」のような感想は言語感覚の貧困さを現しているようで好きになれないのですが、実際感動した上にちょっと泣けたのだから仕方がない。もっとも、よく出来た物語であるだけに、前半はちょっと辛いですね。後半から面白くなるので、未読の方は途中で投げ出さないようにしましょう。
さて、個人的に気になった点は、意識的に生み出されている「メッセージの時間的すれ違い」でした。例えば物語の最後で、「地球に着いたら合図を送る」という幽との約束を思い出した焔(ほむら)は、地球を覆うオーロラを見て、幽が無事に地球に降り立ったのだと悟ります。焔は「ぼくはここにいるよ」という幽の(予期しない)メッセージを受け取ったわけです。一方、メッセージを受け取れなかったクリスマスも、メッセージが送られてくるのを待って地球を見続けます。幽のことを忘れてしまった後でも。
ここで重要なのは、幽のメッセージを待ったり、そこに幽の存在を感じたりするその瞬間に、幽が地球にいるかどうかはわからない、ということです。これってメールのやりとりと良く似ていますね。そこで、この物語における地球は巨大なメールボックスではないか、と思った次第。
スカイウォーカーが死ぬと、次のスカイウォーカーは前代が隠した研究成果を探しだし、研究を引き継ごうとします。直接その場で、ではなく、断絶を伴った情報伝達。これもメールのやりとりと似ています。
この作品の次回作『イリヤの空、UFOの夏』でも、主人公は既にいなくなった伊里野加奈に向けて「ぼくはここにいるよ」というメッセージを送るのですが、このときになるともう、送ったメッセージが読まれることすら期待されていません。コミュニケーションの価値がメッセージそのものから、メッセージを送ることを可能とする「場」の方へとシフトし続けているのではないか、と僕は考えているのですが、それについてはまた別の機会に……