重森三玲の庭

昭和を代表する作庭家、庭園史研究家の重森三玲(1896−1975)の足跡をたどる展示「重森三玲の庭−地上の小宇宙」(重森三玲展実行委員会主催)が 25日、京都市左京区の京都工芸繊維大美術工芸資料館で始まった。東福寺方丈庭園など三玲が手がけた庭園の計画図やスケッチ、写真、模型、古庭園の実測図 など約140点が展示されている。

京都新聞電子版:「重森三玲の庭」足跡たどる 左京 実測図など140点展示

行ってきました。
重森三玲がどのような人なのかについては
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0861.html
がわかりやすいと思うので、そちらを参照していただければと。庭園関係の著作は全部で110冊(共著含む)、生涯に設計した庭は190庭、茶室は20席余とまさに庭園史の巨人。以前から興味があって調べているのですが、今回の展覧会で初めて肉声が聴けました。どうでも良いですかそうですか。
もっとも、展示のメインである庭園実測図や作庭例の解説については重森氏の膨大な著作の中で何度も触れられている内容なので、目新しさはほとんどありませんでした。そこで何回かに分けて、自分なりの切り口で氏の代表的な作庭例を紹介したいと思います(需要がないとは知りつつも!)。写真が多いので畳みますね。




まずは初期の代表作である「東福寺本坊方丈八相庭」。写真は上から順番に南庭、西庭、北庭、東庭。ひとつひとつに違った趣向が凝らされた、非常に自由な発想で造られた庭ですね。ただ、自由であると同時に、庭園はそれがつくられる「場」に支配されるということを示す好例でもあります。
1つ目は人的制約。東福寺方丈は輪番制(他のお寺から交代で管理する人がくること)であり、庭を保存する責任者がいません。よって、長期保存のためには、必然的に管理が楽な枯山水(石と砂をメインにした庭)となります。
2つ目は歴史的制約。東福寺鎌倉時代に創建されたため、特に南庭の石組に見られるように作風が鎌倉的なものとなっています(長石の多用とか)。
3つ目が思想的制約。東福寺は禅寺ですから、禅の思想によって廃物利用が行われ、東司(トイレ)の柱で東庭の北斗七星が、南庭を作庭する際に剥がされた敷石で北庭の市松模様が作られました。
そもそも庭園が他の芸術と異なる点は、製作者である作庭家のほかに施主というものがいて、そこから離れて自由な創作をするということが不可能だということにあります。そのため重森氏は「庭園の設計の前に、主人の設計をしないかぎり、傑出したものが出来ぬ」と述べています。しかし、一見その正反対の「いずれの社寺も古い歴史があり、伝統があり、古建築があるのですから、各社寺の何かをテーマとして一応先行させるべきです」とも述べているわけで。この辺の複雑な思想については、また今度取り上げましょう。


ところで、この庭については三谷徹氏が『デザイン言語―感覚と論理を結ぶ思考法』の中で面白い解釈をしています。つまり、北庭に見られる、苔と敷石で造られた市松模様。これが、苔を管理するための導線として機能しているのではないか、という指摘です。
続けて、伝統的な庭園というのはその国の農業のあり方と似ているものだとも指摘しています。そのために、維持管理の工夫というのも伝統的な庭園デザインの中には組み込まれているのだ、と。確かにヨーロッパの庭園ってどことなく段々畑を連想させるので、説得力のある指摘だと感じます。