ヌーヴェルヴァーグの作家たち・その3『勝手にしやがれ』

ヌーヴェルヴァーグの作家たち・その1『恐るべき子供たち』 - tukinohaの絶対ブログ領域
ヌーヴェルヴァーグの作家たち・その2『大人は判ってくれない』 - tukinohaの絶対ブログ領域
以上の記事の続きです。
ヌーヴェルヴァーグ特集も今回で終わり。というわけで今回はヌーヴェルヴァーグのもたらしたものとその限界について考えてみましょう。
ひとつは作家主義。「映像作家」としてヒッチコックを褒めちぎったのもヌーヴェルヴァーグの人々でした。ただ、これはあくまでも映画監督が「職人」として語られた、そんな風潮に対してのアンチであり、現代ではちょっと寒いものがあります。
もうひとつが映画というメディアに対する関心。彼らはまず物語ありきだった映画を、音楽、背景、セリフとバラバラに分解し、個別にスポットを当てました。この辺は構造主義の隆盛とも対応するかもしれませんね。あと、B級映画C級映画に対する壁も取り払ったというのも重要な業績です。多くのヌーヴェルヴァーグ作品がハリウッドのB級映画を手本にしていることからもそれが伺えるでしょう。
ここまで「何を語るか」というテーマについては何も話しませんでしたが、そこが彼らの限界でもありました。「どうやって映画を撮るか」というのが彼らにとっては唯一の問題だったわけですが、それだと余程の天才でない限りジリ貧になるんですよね。
エリック・ロメールやクロード・シャプロル、そしてジャン=リュック・ゴダールなど第1世代の監督が近年まで刺激的な作品を出し続けているのに対し、それ以降の監督が早々と行き詰まりを見せている現状。色々と難しいみたいですね。
さて、この特集で最後に取り上げるのがゴダールの『勝手にしやがれ』。『大人は判ってくれない』と共にヌーヴェルヴァーグの始まりを告げた歴史的作品です。

勝手にしやがれ [DVD]

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この作品はハリウッドのB級犯罪映画が下敷きとなっており、ジャン=ポール・ベルモンドの演じる無鉄砲な主人公がやたら格好良いです。ただ、他人に語るときはどうしてもその革新性について触れたくなります。
まずは「ジャンプカット」。wikipediaの項目にもなっているのでそちらを参照してください。
ジャンプカット - Wikipedia
一見すると繋ぎ間違いにも見えるのですが、実際は全く新しい映画文法の創出だったわけです。非常にスピーディでリズミカル。
ゴダール作品を特徴付けるものは、端的に言えばリズムであると言えるでしょう。最初にリズムがあって、それに合わせて物語が生み出されるというあり方。それは「映画とは物語である」という無意識の前提に対する異議申し立てでもありました。
簡単に言えば、ゴダールの根幹にあるのは「et」の思想でした。「et」を英語で言えば「and」。映画を構成する複数の要素(ストーリィや映像、セリフ、音楽など)の間に主従関係を持たせず、あくまで並列的に扱うこと。そのため各々が勝手に自己主張を始め、実に落ち着きのない作品となっています。
この作品だと冒頭のドライブシーンが非常にわかりやすいですね。セリフは本筋と何の関係もなく、音楽はぶつ切りにされ、背景はセリフに合わせて突然見知らぬ風景に変わる。映画の構成要素が映画の主役になってしまった、というわけで非常にヌーヴェルヴァーグらしいと僕は思います。ヌーヴェルヴァーグという集団に「映画というメディアへの関心」以外の顕著な共通性があるわけではないのですから。ただ、その極点にゴダールがいることは間違いありません。