『ひとひら』−あなたは精一杯生きていますか?

麻井麦は緊張すると声も出せない、普通の少女。
とても演劇なんて出来そうもない、普通の少女。
けれど、運命は彼女を演劇へと導きます。
泣きたい。逃げ出したい。辞めたい。彼女は弱音を吐き続ける。
失敗した。喧嘩した。傷ついた。では、彼女に残されたものは何か?
演劇に自らを賭けた少女はこう答えました。
「麻井さん知ってる?精一杯やったという事実さえあれば辛かった思い出も全て楽しい思い出に変わる。それが演劇に問わず、人生のマジックだ…ニャン」
ひとひら』の既刊3冊をまとめて読みしたのでその感想を書きます。あえて批評とは言いません。

ひとひら 1 (アクションコミックス)

ひとひら 1 (アクションコミックス)

ひとひら 2 (アクションコミックス)

ひとひら 2 (アクションコミックス)

ひとひら 3 (アクションコミックス)

ひとひら 3 (アクションコミックス)

何というか、本を読む前に考えていたいろいろな着想が全部吹っ飛ばされてしまったような、不思議な感覚を味わっています。
背中が震え、本を握る腕に力が入り、気がつくと涙があふれていました。
大好き。好きすぎる。たとえこの本が傑作ではなかったとしても、僕の評価は決して揺らぐことはないと断言できます。そこで思い出すのは『R.O.D -THE TV-』というアニメに登場する本屋の老人がつぶやいた、こんな言葉。
「俺は何十年も本を売ってきたが、不思議なものだ。本は心底それを欲しがっているやつのところに、必ず届く。お前が本気で本当のことを知りたいのなら、どこへ行こうと、見つかるよ」
僕は『ひとひら』に描かれた精一杯生きる姿を求め、そして出会った。
だからこそ、咲き誇る花の『ひとひら』は、僕にとってかけがえのないものでした。
明日の僕はこの作品が好きではないかもしれない。けれど、今日の僕はこの作品を確かに愛した。その事実を大切にしたいと思います。


演劇は目の前の限られたスペースだけを舞台にします。けれど、役者はそこに立っていない間も確かに「いる」。ひとつの出番を終え、次の出番まで舞台袖に待機している間も登場人物の物語は続いているのです。観客の想像力にゆだねる形で。
ひとひら』は舞台袖のドラマ。それは舞台で繰り広げられる物語の前章であり、本当のエピローグ。決して舞台から切り離されたものではありません。演じる役はたったひとつ。「精一杯生きること」。
演劇は一度きりのドラマ。舞台に幕が下りれば幻のように消えてしまう。主人公の麻井麦も演劇と同じ。舞台の上では勇気を振り絞って役を演じても、日常に変えればまた「普通の女の子」に戻ってしまう。けれど、同じ舞台が二度と存在しないように、昨日の麻井麦とは、何かが違う。
幻の中で彼女が掴み取ったものは何だったのか。それはまだ、彼女自身にもわかっていません。全てはこれから。続きが楽しみな作品です。