『嘆きの天使』−無冠の女王が魅せる退廃の美

「タイトル買い」は作品の選び方としては割りとメジャなものではないでしょうか。作者にとってはどんな台詞よりも演出よりも頭を使う所でしょうから、やはり、作品の奥の深さ見えてくる。で、そのタイトルという一瞬の閃きを評価して今回選んだのが『嘆きの天使』という映画です。格好良い。格好良すぎ。そこはかとなく『首都高バトル』のボスキャラっぽいですけどね(ex.「夢見の生霊」「紅の悪魔」など)。

嘆きの天使(トールケース) [DVD]

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「100万ドルの脚線美」マレーネ・ディートリッヒと共に記憶される本作ですが、意外なことに彼女、一度もアカデミー賞を獲得していません。エロティックなイメージばかり先行してお堅い選考委員には受け入れられなかったのでしょうが、なんとも気の毒な話です。
この『嘆きの天使』もやはりエロティック。彼女の魅力にはたじたじです(古いな)。しかし、この映画を見ずに「ディートリッヒの足を見てニヤニヤする映画だろ?」と切り捨てるのはあまりにもったいないと言えるでしょう。何もアカデミー賞審査員と同じ見方をする必要はありません。
エミール・ヤニングスの演じる老教師が「人は時として自分の一番嫌ったものになる」という命題を直視したときに発する、心からの叫び。この実にいやらしい(褒めてます)ストーリィに心を揺さぶられた人はきっと大勢いるはず。ディートリッヒの美しさでさえも、この優れた物語の前では忠実な従者でしかなかった、と僕は思います。これ、ディートリッヒに対する最高の褒め言葉。
ディートリッヒの演じたローラ、悪女として描かれていたんでしょうね。けれど、物語が作られてから数十年経った現代に生きる僕の視点からは悪女ではなく、理想と現実の間に苦悩するひとりの善良な女性に見えました。こうした「意味のズレ」を楽しむのもひとつの映画鑑賞法ではあるかな、と思います。