ブログを書く価値・感想を書く価値

業務(?)連絡 - tukinohaの絶対ブログ領域
2007-03-21 - 魔王14歳の幸福な電波
「業務(?)連絡」なんて適当なタイトルにするんじゃなかった!
という話はさておき、Erlkonigさんの「どういう思考の流れでそういう結論に至ったのかというところに興味が」という疑問に対して、2段階にわけてお答えしたいと思います。
なお、以下の文章を読んで「いや、そういうあなただって……」という感想を表明する方もいるでしょうが、全力で見なかった振りをします(特技は棚上げです)。


まずは「ブログを書くこと」全般に言えることについて。
僕はこの「はてなダイアリー」という集合体を、大学のサークルに似ていると感じています。「『はてな』の中に必要のないブロガーはひとりもいない」と断言できるのですが、それと同時に、すべての人が「そこにいるだけで誰かの負担になっている」のも事実なのです。
この感覚は「はてなダイアリー」で書いている時にしか感じられないものかもしれません。ログに残るキーワードリンクの跡、僕はその表層をなぞっただけ。ああ、無駄足を踏ませたなぁという実感があるわけです。他にも、グーグル先生に「絶対泣けるブログ」と入力して来た人はきっと舌打ちしただろうな、とか。もうちょっと即物的な面だと「サーバに負荷をかけてる」なんていうのもあります。
だからこそ「この記事の価値は何か」という問いは絶対に必要なものであると僕は考えています。そのことを忘れて「書きたいことを書く」というのはちょっと違うのではないかな、と僕は思うのですが、そこまで主張すると倫理道徳の領域に踏み込んでしまうのでここはカットね。チョキチョキ。
「何に価値があるかなんて人それぞれだろう?」という反論も考えられますが、「人それぞれ」と言っても大部分は把握できるでしょう。「美味しいラーメン屋さんの情報」に価値を見出している人はまず当方には来ないでしょうし、こちらにとっても圏外で、お互いにノイズとはなりません。問題となるのは、アニメの「感想」と「考察」のような守備範囲の被るものであり、多少の想像を働かせることが必要ではないでしょうか。
そして本題の「感想をブログに書く価値とは?」について。自分はウェブ上の感想を読んで本を買ったりアニメを見たりしたことは1度もないのでサンプルとしては不適当かもしれません。その辺は割り引いて読んでいただければ幸いです。
さて、当方のような零細ブログのアクセスは大半がグーグル先生やキーワードリンク経由のものです。そして、ある作品のキーワードリンクを辿って訪れる方には既読者・既視聴者が圧倒的に多いのではないか、と僕は考えています。そのような人たちはどのような情報に価値を見出すのでしょうか?
少なくとも僕は、作品の上っ面をなぞっただけの批評でも、わかりきったことだけが書かれている批評でもなく、作品に内在するあらゆる可能性を教えてくれる批評を見たいと思うでしょう。その条件が満たされるならErlkonigさんが言うところの「筋道を立てて表明された主観の記述」も大歓迎です。
本当に不特定多数が見るような大手サイトなら、その逆もまた然り。
つまり、この記事を通して言いたかったことは以下の1文に集約されます。「読み手を考えない記事というのはありえない」ということ。「この記事に価値があるのか」という問いは常に「この記事は誰が読むのか」という問いとセットになって現れます。「記事にする価値ってあるのだろうか?」と僕が悩んだのも、「この映画は駄作だ」とか「今日はボウリングに行ってきました。楽しかったです」だけで終わってしまうような、誰に向けて書いたのかさっぱりわからない文章に他なりません。
ウェブ上の空間は(環境さえ整っていれば)誰にでもアクセスできるわけですが、しかし、実際にアクセスするのは常に「具体的な誰か」です。その「具体的な誰か」が無駄足を踏んだり舌打ちしたりする姿を、時々で良いので思い出してあげてください。