私の異常な愛情または私は如何にして歌うことを止めてサントラを愛するようになったか

パソコンに向かい、考えを書きとめながら音楽を聴く。音楽を聴いているとき、澄ました顔をしていても、頭の内側はぐちゃぐちゃになっていることが多い。不思議なことに、それを整理しようという気がしない。宝石の中には磨かれる前の原石の方が美しいものもある。それと同じようなものか。
音楽は好きだ。歌詞があると駄目だが、美しい旋律は思考空間を広げてくれるように感じる。思考にある種の指向性を与えてくれる。音楽を聴く。キーボードに指を叩きつける。記事の内容を考える。記事の構成を考える。そのとき、いったい何人の自分が考えているのか。「自分は1人だ」という自信が揺らいでいく。最高に危うくて、素敵な瞬間だ。
歌うことも好きだ。男性ボーカル、女性ボーカル関係ない。歌詞があれば、とりあえず歌手と一緒に歌ってみる。歌の世界へ溶け込んでいく。他には何も出来ない。考えられない。そこには自分がひとりしかいない。最高に孤独で、素敵な瞬間だ。

水夏?SUIKA?パーフェクトアレンジアルバム

水夏?SUIKA?パーフェクトアレンジアルバム

最近は『水夏』のサントラをよく聴いている。
決してとげとげしくはない、緩やかで、暖かい陽だまりのようなサントラだ。それは『AIR』のように、音楽そのものが物語となりうる性質のものではない。そのため物足りないと感じる人もいるだろう。
物足りなくていいじゃないか、と僕は思う。語る音楽か、語りを乗せる音楽か、どちらかが優れているというわけではない。ただ、マルチタスクを助けてくれるのは明らかに後者だ。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.+(プラス)

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.+(プラス)

攻殻機動隊というアニメがある。ことあるごとに周囲に勧めているのだが、シナリオだけでなく音楽も素晴らしい。特にOP曲は、映像と合わせて日本のアニメ史に残るべき傑作だと断言できる。まあとりあえず聴いてみてはどうか。Origa『inner univers』
先に挙げた『水夏』と『攻殻機動隊』とでは、浮かんでくる発想の質が異なっているような気がする。前者は過去の経験から、後者は街の景色からの連想が多い。
思考は音楽に支配されているのか。
部屋で、教室で、図書館で、自転車で、電車で。場所によって、時間によって、相手によって、体調によって。発想は外部に支配される。自由な発想など幻想なのか。そんなことは意識しないで、ただ考えれば良いだろう。人間の意志が幻想だとしても、人間には考えることしか出来ない。
R.O.D-THE TV-ORIGINAL SOUND TRACK

R.O.D-THE TV-ORIGINAL SOUND TRACK

R.O.Dというアニメのサントラが面白い。曲そのものはもちろん素晴しいのだが、歌詞カードに書かれている岩崎琢のコメントが愉快だ。「魂の切り売り」「手っ取り早くお腹一杯になりたかったら、牛丼でも食べたら?」みたいな。まったくその通りで、特に言うことはない。
付け加えるなら、人間のやることは基本的にみっともない。まして他人の作品に対して面白いつまらないと言っている僕なんて、人間全体でも「みっともない部門」のトップランカーになれるのではないだろうか。
けれど、そんな「みっともなさ」を切り売りするのがブロガーという人種なのだろう。みっともなさを引き換えに、他人の時間を奪っている。それがブログというものだ。みっともなさを恥じている場合ではない。