「人間」の物語とクロスボーンガンダム

神よ・・・・・
もし、本当におられるのでしたら・・・・ 
決着は「人間」の手でつけます。
どうか手を・・・・・・
お貸しにならないで・・・・・・・・

昨日はガンダムXに「ガンダムは単なる固有名詞でニュータイプは設定のひとつ。『ガンダム世代』みたいに時代の象徴としたり、ニュータイプを思想として捉えるのは間違っている」というメッセージが込められていることを紹介しました。で、今日は予告どおり、そのメッセージを一部共有する作品として『機動戦士クロスボーンガンダム』を取り上げようと思います。

この作品は『機動戦士ガンダムF91』の続編という位置付けになっているのですが、はっきりいってF91を見てなくてもOK、というか、F91は見なくても良いからクロスボーンを読んどけ!という感じです(あー言っちゃった)。漫画なのですが、富野監督がきちんと口出しをしているという点でも貴重な作品。最近のガンダム作品みたいに「原作者・富野由悠季」は名前だけ、というわけではありません。
さてさて。これまでのガンダムシリーズにおいて「ニュータイプ」という言葉は人類の希望そのものとして描かれてきました。代表的なニュータイプであるアムロやシャアも「人類がみんなニュータイプになれば地球は救われる」みたいなことを言い続けたのであり、将来の展望に違いはあっても、「普通の人間」には全然期待していないという点で2人は同じです。
そこでクロスボーンガンダムにおいて語られたのは「ニュータイプってそんなに凄いの?」という、素朴な疑問でした。
木星帝国という、地球から離れすぎたために自分たちを「普通の人間」だとは思わなくなった人々を敵役として設定し、彼らとの戦いを通して「ニュータイプになる以外の可能性」というものを模索していくのが、このクロスボーンガンダムという物語であると言えるでしょう。そしてどのような答えが得られたのか。それは実際に読んで確認して欲しいのですが、少なくとも僕はそれを、現実世界においても説得力を持った答えであると感じました。
そんな話はさておき(さておくのか!?)、この作品の長所は何と言っても「燃える展開」です。燃えない話がないってくらい。
主人公のトビア君は木星やってきた交換留学生。ところが、乗ってきた船が海賊に襲われたとき、そのどさくさで船には大量の毒ガスが積まれていたことを知ってしまう。口封じのため殺されそうになるトビア。その危機を助けたのが、まさに襲ってきたはずの海賊であった……。
この後に続くトビアと海賊の問答が印象的です。

「何が‥‥何がおこってるんですか? いったい!ぼくの‥‥ぼく達の知らないところで‥‥いったい‥‥」
(質問に答えず、男は遠くを指差す)。
「おまえのとるべき道は2つある。
 ひとつは何も聞かずに地球へ帰り、全てを忘れ、貝のように口をつぐむこと‥‥
 そしてもうひとつは、われらと共に‥‥真実に立ち向かうことだ!」
「あ、あなたは?」
「宇宙海賊クロスボーン・バンガード‥‥」(男は遮光バイザーを外し、初めて素顔を見せる)「俺の名はキンケドゥ。キンケドゥ・ナウだ!」

キンケドゥさん超格好良い!禁忌do(禁忌を犯す人)のもじりじゃないかと個人的には思っているのですが、まあその話はいいや。
際限なく作中の台詞を引用したいという欲求に駆られるこの作品、本当に名言の宝庫です。キレた台詞も含めて。
あとは主人公達の操るクロスボーンガンダムの格好良さ。全身これ武器。ビームシールド標準装備のMS戦に対応するため、あえて接近戦を挑みシールドの内側に入り込むというコンセプトで設計されています。接近戦に強いっていうのはそれだけでロマンじゃないですか。え、そんなことない?そうですかそうですよね。

MG 1/100 XM-X1 クロスボーンガンダムX-1 Ver.Ka (機動戦士クロスボーン・ガンダム)

MG 1/100 XM-X1 クロスボーンガンダムX-1 Ver.Ka (機動戦士クロスボーン・ガンダム)

そんなわけで『機動戦士クロスボーンガンダム』、数あるガンダムシリーズの中でも屈指の名作だと思います。激しくオススメ。