博物館のミステリィ

Q:ブリティッシュミュージアムが大英「博物館」で、ミュゼ・ルーヴルがルーブル「美術館」なのはどうしてでしょう?
A:なんとなく。
嘘ではなく、これまで「ミュージアム」の訳語として「博物館」と「美術館」のどちらを使用するのかについて、理論的な根拠は一度として示されたことがありません。西洋の「ミュージアム」概念をそのまま採用すれば、美術館は博物館の部分集合なので、日本の美術館はすべて「美術博物館」あるいは単に「博物館」とするのが正しいかと。
そんなわけで、今日は日本の博物館について、世界から見て変わっている点を紹介します。


1.世俗権力との未分離
以下は1980年『月刊みんぱく』1月号に掲載された、梅棹忠夫国立民族博物館館長と、林屋辰三郎京都国立博物館館長(どちらも当時)との対談です。

林屋「京博には、年に1度、仏教供養会というのがあって、寄託の仏さまの供養をします。館内にただならぬ香煙がたって、読経の声が聞こえて、鉦がひびくのですよ。館蔵の仏像もいっしょにくようされますが、主に寄託されている仏さまの所有者であるお寺方の法要です」
梅棹「へえ、あの仏像は生きてはるんですか(笑)」
林屋「いちおう、魂は抜いてあるんですけどね(笑)」

博物館の収蔵品というのは、宗教など世俗的な権力と切り離されるのが基本です。普通、博物館の仏像に祈らないでしょう(別に祈っても良いけど)?それが結局現在に至るまで出来なかったということを、この仏教供養会という行事は表しています。
少なくとも、笑っている場合ではありません。


2.ご当地主義
大英博物館を見るまでもなく、西洋の博物館は世界中から文化財を集める(略奪とも)ことで成立しています。その一方で、日本の博物館。
明治時代に打ち出された博物館構想では、3つの国立博物館と12の地方博物館の建設が予定されていました。その内訳は
「熊本(九州の文化に関して)」、「金沢(江戸時代)」、「名古屋(江戸時代)」、「大坂(戦国時代)」、「四国大三神社(四国の文化に関して)」、「観心寺(南北朝時代)」、「大宰府(元寇、外国交通に関して)」、「鎌倉(鎌倉時代)」、「中尊寺(藤原時代、東北の文化)」、「厳島(平氏時代)」、「高野山(弘仁時代)」、「伊勢大廟付近(奈良時代以前、神道に関して)」
という感じ。博物館を建てる場所付近の文化財、そして場所ごとに有名な時代に関する文化財を集めるように指定されている点が特徴的です。
この地方博物館計画はボツになったのですが、では実際に成立した国立博物館はどうなの?といえばここまで極端ではないのですが……。
ただ、先に引用した対談でも

林屋「(京都国博の)開館前には広い展示場のスペースをうめるために、社寺の関係者を招待し、展示品を社寺から寄託してもらうために勧誘したそうです。京博の現在の館蔵品は約3000点です。開館当時(1899年)からくらべて3倍にしかなっていません。そのほかは社寺からの寄託品が約5000点。だから、わが博物館は寄託品さまさまですね。90年前にさかのぼって、そういう姿勢が続いているのです」

と述べられている通り、モノを集める、という最も基本的な能力に乏しいのが日本の博物館です。あと、文化財はあるべき場所(元々持っている寺院とか)にあって欲しい!と思う人が多いのも、これと関係があるのかな?


3.そもそも博物館ってなんじゃらホイ?
(それでもwikipediaなら……wikipediaなら何とかしてくれる……)

博物館(はくぶつかん)とは、特定の分野に対して価値のある事物、学術資料、美術品等を収集、保存し、それらについて専属の職員(学芸員、キュレーターなど)が研究すると同時に、来訪者に展示の形で開示している施設である。
(中略)
資料館、美術館、文学館、歴史館、科学館、水族館、動物園、植物園などの施設は日本語では博物館の名を持たないが、いずれも世界標準からは博物館そのもの、あるいは博物館に準じる施設(生きている生物を主に扱う施設の場合)であり、日本の法制上でも条件を満たして登録措置を受ければ、博物館法上の博物館、あるいはそれに準じた博物館相当施設として扱われる。

特に後半が重要なのですが、一般に考えられているよりも「博物館」というのは広い概念です。けれど、その概念が本当に理解されているのか?というのは非常に疑問です。最初に例として挙げた「博物館」と「美術館」の混乱とか、ね。
ではどうして「博物館」の概念が日本に根付かなかったのでしょうか?僕は日本に「世間」があって「社会」がないことと無関係ではないと思います。
西洋では前近代の王室が溜め込んでいた財宝を「社会」の共有財産とするために「博物館」の概念が必要されたのですが、日本の場合、徳川幕府が財宝を溜め込んでいたわけでも、共有するべき「社会」もなかったため、「博物館」の概念が育つ余地がなかったのではないかと思います。
西洋では近代の成立とともに生まれた博物館。どうやら日本は「近代」を迎えることがなかったみたい。


明治時代に博物館制度がスタートし、一時期は「帝室博物館」、つまり(建前上は)天皇の個人コレクションという、博物館の概念とは正反対の方向へと移行した「博物館」。それは社会の縮図のように思えます。