レビューブログとして考えること

批評というのはどう転んでも戦略的な行為に他ならないわけで、本人の自覚はともかくとして、作品へのえこひいきという側面はどうしてもあるのでしょう。たとえ作品をボロクソに貶している批評を見ても、僕は「ツンデレだな、この人は」と解釈しますし。
あと、批評理論に問題があるとすれば「学際性」ではないかと思う次第。例えば、言語学の理論を適応させようとすると、小説の特異性を説明するために「日常の言葉」と「文学の言葉」、もしくは「説明の言葉」と「自由な言葉」という安易な2項対立が生み出されたり(フォルマリズム)。社会問題を作品に持ち込んで「作品のこのテーマに注目すればおk」と思考停止に陥ったり(ニュー・クリティシズム)。
そこで少し理論をバックさせて、作品の受容について考えてみましょう。
少なくとも、作者の意図を推測するというやり方は決して正しくない。かといって、読者に解釈を委ねても社会・慣習によって解釈に制限がかかる。そこで批評に学際性が求められてきてむにゃむにゃむにゃ。
難しい。
ということをむにゃむにゃと考え中。