歴史学ってなにかなかな(初心者向け)
雨の音を聞きながらこんなの読みました。
- 作者: 小田中直樹
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2004/01/01
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そういうわけで、偉そうなことを言うのは非常に恥ずかしいのですが、恥を知る人々はブログなんか見ずに研究室にこもっているでしょうから、勝手に言いたいことを言おうと決めたのでした。
以下本論。
最近、明治期の南北朝正閏論争について色々調べました。この話、公権力による学問の弾圧事件として非常に有名ですが、よく見てみると、弾圧された側である歴史学者と、弾圧した側である公権力側の考えは決して遠いものではなかったことがわかります。
最大の共通点が「学問は学問、教育は教育」と両者が切り離されて考えられていたこと。そして「学術的には間違っているが、南朝を正統としたほうが教育的には良い」ということです。このことから歴史学の側にも南朝正統論を認めるための素地があったと言えるでしょう。その後も脈々と続く実証主義的な研究と民衆とを完全に切り離すことで、それは認められました(当時、南北朝史の講義には、外から見えないよう黒いカーテンを閉めて始められるのもあった)。
つまり「歴史学は社会の役に立たなくてはいけないの?」という最初の問いに対して明治の歴史家が出した答えは消極的な「はい」だったわけです。確かにそのときは役に立ったと思ったのでしょう。しかし、このような「役に立つ」はずの皇国主義史観がもたらしたものについての評価は、言うまでもありません。
そして現代では、実証主義歴史学を批判する形で現れた「新自由主義史観」の掲げる「新しい歴史教科書」。なんだかよくわかりませんが、子供の教育上役に立つそうです。とにかくそういうことになっているそうです。
何が役に立って、何が役に立たないのか。
少なくとも現在の歴史学者にとって役に立っているのは、民衆の害になるからとカーテンを閉めて行われた、大学の南北朝史(講義名だけは吉野朝史だったらしい)の方です。神ならぬ身、何が役に立つかなどどうしてわかるでしょう。
ただ、ひとつだけ言えることは、正しい論証過程を経た研究はいつか、誰かが参考にするかもしれないけれど、政治的意図のみで生み出された研究は、政治的意図が外れればゴミ屑だということ。
誰かに言ってもらいたい。「どうして歴史学は役に立たなくちゃいけないのか」と。
しかし、このセリフを吐いて許されるのは、実際、役に立っている人だけというジレンマ。難しいですね。