大人になるということ

社会的にみて、自分はもう大人と呼ばれる年齢だが、最近は「頭が悪くなった」と感じることが多くなった。
レポートの書き方、書類の書き方、目上の人との話し方etc……。時間を重ねることで、僕は多くのことを身につけた。しかし、それらはどれも「何かを伝えるための技術」であり、肝心の「伝えたいこと」は、ただ一方的に失われている。
子どもの頃は「やりたいこと」がたくさんあった。それを実行するために、適切な手段をさがし、追いかけた。大人になると、まず手段が与えられる。その手段という器のなかにすっぽりと入る内容を、大人はどこかから見つけなくてはいけない。
子どもだった自分は、大人の倒錯した生き方が嫌いだった。文化祭が嫌いだった。運動会が嫌いだった。それらは全て、何かを「やる」と決めることから出発している。子どもの世界に入り込んだ、大人のやり方だ。
最近は、そんな大人のやり方に対する抵抗感がどんどん薄れている。正当化できるようになったわけではない。相変わらず「おかしい」と感じている。より面白いことで、その違和感を打ち消しているだけだ。いつかこの違和感も忘れてしまう。それが、大人になるということだろう。
基本的に、大人は外から見て格好良いものではない。まして、他人に「大人になれ」なんて言えるわけがない。酔った頭でこの記事を書いている僕には、もちろん言えない。