D.C.〜ダ・カーポ〜

人生はゲームのようにリセット出来ないと言うけれど、本当にそうだろうか。つまずいても、ダ・カーポのように、また最初からやり直せばいい。俺はそう信じたい。それは、決してゼロからの出発ではないはずだから。

先日、大学近くのビデオ院アメリカを訪れたところ、長らくVHSのみだったダ・カーポのDVDが入荷されていました。ああ、あのアニメ初心者だったころの、ただ純粋にアニメを楽しんでいた日々が蘇ってくる……。あと、最近放送が始まった『Gift 〜eternal rainbow〜 』がD.C.とやたら似ているという話を聴きましたが、原作のMOONSTONEは元CIRCUSである呉氏の会社ですから、通じるところがあるのかもしれません。というわけで今日は復習の意味もかねて『D.C.〜ダ・カーポ〜』を取り上げてみましょう。

一年中咲き続ける「枯れない桜」で有名な「初音島」を舞台に、主人公とヒロインたちが真面目にファンタジーと向き合い、選択していく話です。
まず目に付くのが、随所にちりばめられた実験的要素でしょう。例えば、1話1話を早めに終わらせて、余った時間でキャラソンのPVを流してみたり。サイドストーリーを本編のすぐ後に流してみたり。1クール目と2クール目とではまったく雰囲気が違うのも特徴的ですね。原作でも前半と後半とでは全然違いますけれど。
原作ではどの話も驚くほど構成が同じで「甘い話」⇒「辛い話」⇒「救済」の繰り返しです。しかしアニメでは「救済」を与えると話が終わってしまうので、「救済」はなく、主人公が「これで良かったんだ」と自分を納得させてしまう。
原作ファンは怒りました。そりゃねーだろ、どう考えてもメインヒロイン以外救われてないだろ、と。しかし、私は、アニメ版D.C.が成功した要因はそこにあったのだと考えています。
主人公も、ヒロインも、自らリスクを引き受け、選択しました。それは、神に等しい製作者にも変えられない事実のはず。それを認めたことで、物語に重みが生まれ、同時に、現実を認める明るさが備わったのです。
確かにファンタジーなのに、地面から足が離れません。とても、とても明るくて、静かな話。
そして演出も神がかっています。多分に予算的都合もあったのでしょうが、静止画の使い方が抜群に上手く、絶え間なく降り注ぐ桜の花との対比で静けさが一層際立っています。さらに七尾奈留のキャラクターデザインも秀逸です。制服のデザインが素晴らしく、独創的でありながら現実離れしない範囲で描かれています。というか、そこが一番希少価値の高い点ですね。
他にも「ヌー」を愛読する杉並というサブキャラが格好良すぎるとか、野川さくら田村ゆかり堀江由衣の競演って凄いなとか、yozucaCooRieの楽曲が素敵だとか、挙げればきりがありません。この作品は、tukinoha中では常にトップ5に入っています。
というわけで結論。今すぐビデオ院アメリカへダッシュ
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