おジャ魔女と同じ時代を生きた少年に捧げる詩(うた)

パソコンのフォルダから、この機会を逃したら出力されないと思われる文章が見つかったので、転載します。
『大人が子どもを失ったのなら、かつての子どもは何処に行ったのだろうか。
あの日泣いていた少年は、孤独の海で、今も泣いているのだろうか。
可哀想に。出来る事ならば、少年に与えよう。幸せな意味を。
あの日も、そして今も、僕たちは終わらない物語の中にいる。
伸ばした手が月を動かすことはなかったと、果たして誰が評価できるだろう。


かつて、僕たちは世界に「さようなら」を告げた。
そして、僕たちは今もこの世界で生きている。
繰り返し告げた別れの果てに、同じ場所に立っている』
おジャ魔女たちと、今も同じ時間を生きている。


さて、存在のモードを変え、現実へと帰還しましょう。
昨日、「おジャ魔女どれみ」を締めくくる、最後の5話を鑑賞しました。

おジャ魔女どれみドッカ~ン! DVD-BOX

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人間はひとりではない、と感じることがあります。もちろん「つながりによって生かされている」というのもそうなのですが、ここでは別の意味。
具体例を出しましょう。
新しい出会いは、とても嬉しいものです。同時に、やがて来る別れを恐れています。逆に、別れを悲しむと同時に、新しいステージでの出会いを期待してもいます。この相反する感情のうち、時と場合によってどちらかが表れます。その両方が外部から観測された時「矛盾」とみなされるのかもしれません。しかし、その矛盾をありのままに表すことが、人間心理の多層性を描くということなのです。
そんな当たり前のことを忘れていたから、私にとって、最終回は衝撃的なものでした。この作品は、本当にリアルです。緻密に作りこまれた設定以上に、創作思想そのものにこそ「リアル」の言葉が相応しい。
最後は、全ての私に一致した感想で締めくくりましょう。
おジャ魔女どれみ」を見て、本当に良かった!
第2第3の「おジャ魔女どれみ」を求めて、これからもアニメを見続けます。
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